メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による感染性心内膜炎(HE染色).好塩基性(青色)に染色される球菌のコロニーがフィブリンと好中球に混じて観察される。MRSA院内感染による致死的敗血症の原因病巣である。
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院内感染防止対策


1. 病理部門における感染対策
2. 高齢者ケアの現場で注意すべき感染症とその対策
3. 感染防止と倫理的問題



病理部門における感染対策
(ICDテキスト、メディカ出版、2004)

 
堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D.

 肺結核症は病理医と病理技師の職業病である。感染の主たる舞台は病理解剖室である。理由は明確だ。
@病理解剖室の感染防止対策の乏しさ、A病理医自身の感染の危険に対する危機意識の乏しさ、B小児期のBCG接種によるツ反陽転による抗結核菌免疫力への過信、C高頻度にみられる高齢者日本人の結核性病変、D感染性の高い活動性結核の臨床的正診率の低さ。E結核菌の感染力の強さ(結核菌は乾燥に強く、空気中を漂う少数の菌の吸入で空気感染を生じる)。さらに、結核菌の曝露は、術中迅速診断の際にも発生しうる。

術中迅速診断における結核感染防止対策
@
肉眼的に結核性病変が強く疑われる場合、凍結切片を作製しないこと
A
感染症対応のクリオスタットの使用
B
感染症検体であることの病理診断申込用紙への表示
C
ゴム手袋・マスク着用の義務づけ。顕微鏡標本や申込用紙の汚染防止
D
結核菌、肝炎ウイルスなどで汚染された(恐れのある)クリオスタットは、薄切終了後にグルタラール製剤で消毒・清掃。消毒作業の間使用不可なため、クリオスタットは2機必要
E
感染検体の固定や染色に用いた溶液類はその都度廃棄処分
   
病理解剖室における感染防止対策(一般論とI以降:結核対策)
@
B型肝炎ワクチン接種は義務
A
剖検室へのカルテやX線写真などの持ち込み禁止
B
体液や洗浄水による汚染拡大を最小限とする解剖作業
C
アイカバーつきマスクと二重のゴム手袋の着用(切創事故対策)
D
剖検終了後、器具、長靴、前掛け、解剖台、切り出し台、床は、次亜塩素酸液で消毒・十分に水洗。器具類は必要に応じて、オートクレーブ
E
使用後のマスク、手袋、肘当てなどは専用容器に収納・シール後に焼却
F
空調は全外気式の独立設備とし、HEPAフィルタを通して排気(換気は20回/時以上)
G
針刺し、切創事故が生じた際の危険度や対処法のふだんからの教育・啓蒙
H
すべての曝露事故を健康管理室などへ報告
I
ツ反陰性者は執刀・立ち会い禁止
J
N95微粒子用マスクの着用。可能なら、感染防止用ヘルメットを装着
K
病変の切開・スライス作製は必要最低限とし、固定後に写真撮影
L
剖検終了後のシャワー浴と洗髪
M
剖検終了数週後のツ反や胸部X線検査
N
院内感染防止対策上、剖検結果を速やかに報告

CJDプリオン対策
 プリオンに対する最も確実な不活化法は焼却である。厚生省および英国ACDPの推奨する消毒法は、@3%ドデシル硫酸ナトリウム、100℃、5分、A高圧蒸気滅菌132℃1時間、B1 N NaOH、室温、1時間、C1〜5%次亜塩素酸ソーダ、室温、2時間、D96%ギ酸、室温、1時間である。組織片の処理にはギ酸処理が最適である。

文献
1.
堤寛.結核のバイオハザード対策.医学のあゆみ 2001; 198: 213-219.
2.
堤寛.バイオハザードの観点からみたプリオン病.臨床検査 2002; 46: 1539-1544.
3.
堤寛.病理検査、病理解剖における感染対策.エビデンスに基づいた感染制御.第1集:基礎編、改訂2版、メヂカルフレンド社、東京、2003, 153-172.



高齢者ケアの現場で注意すべき感染症とその対策
(ケア 12(8):12-24, 2002)

藤田保健衛生大学医学部第一病理学、教授
堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D.

1. 感染症とは
 感染症は、病原体が生体の細胞・組織・臓器を傷害することにより生じる疾患群である。ヒトに感染する病原体には、細菌(スピロヘータ、クラミジア、リケッチアを含む)、ウイルス、真菌、植物(藻類)および動物性寄生体である原虫、蠕虫(吸虫、条虫、線虫)、節足動物がある。細菌、ウイルス、真菌、原虫は病原微生物と称される。

1)常在菌
 皮膚、腟、口腔・咽頭、腸管などの正常の体表面や粘膜表面に常在している非病原菌は、病原菌と拮抗して病原菌がその部位に定着・繁殖するのを防ぐ環境、すなわち常在菌叢を形づくっている。常在菌が抗生物質の服用などで消失すると、それに代わって病原菌あるいは耐性菌が繁殖し、感染症が成立する(菌交代現象)。

 手術操作や阻血状態などで粘膜バリアが破綻すると、常在菌叢が体内へと侵入する。たとえば、腸管の虚血性変化に伴って門脈や腸間膜リンパ節から腸内細菌が分離される。これが、術後感染や腸管阻血後の敗血症の原因となる。心臓弁膜に器質的な障害があると、抜歯によって血中に侵入した口腔内常在菌が感染性心内膜炎をひきおこすことがある。

2)定着と発症、不顕性感染、潜伏感染

 常在細菌叢に代表されるように、微生物が存在することと疾病の発症とは必ずしも関係がない。病原性微生物はしばしば不顕性感染を示すため、病原体の定着と発症の違いをよく認識すべきである。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌Methicillin-resistant Staphylococcus aureus (MRSA) が咽頭粘膜や喀痰中に検出されても、感染症に伴う臨床症状(発熱、咳、喀痰など)を欠く場合は菌の定着状態を反映しており、通常、抗生物質治療(Vancomycin、ArbekacinやTeikoplanin)の対象とならない。

 ヒトへ伝染しうる感染状態が持続する場合は保因者(キャリア)とよばれる。健康保因者では症状や異常所見を欠く。感染すればほぼ100%発症する病原体には、麻疹、水痘、狂犬病があげられる。逆に、ポリオ、日本脳炎、A型肝炎、サイトメガロウイルス感染症、トキソプラズマ症などではその多くが不顕性感染する。不顕性感染のうち、生体の炎症反応を欠き、病原体が消失しない場合は潜伏感染と称される。ヘルペスウイルス属(単純ヘルペスウイルス、水痘帯状疱疹ウイルス、サイトメガロウイルス、EBウイルス)では、潜伏感染が普遍的である(血清中のIgGは細胞内に潜伏するウイルスに反応しえない)。宿主の免疫状態が悪化するとウイルスが再増殖(再活性化)する。

3)潜伏期間
 病原体が感染してから感染症として発症するまでには潜伏期間が存在する。これは、病原体が個体の環境に適応して増殖し、発症に必要な数に到達するまでの期間であり、その長さは、病原体の種類(ウイルスでは2週間前後)、侵入した病原体量、進入経路、個体の免疫状態に依存する。潜伏期間(発症前)に病原体が体外に排出される点は感染防止対策上厄介な問題である。
表1に、外因性院内感染が問題となる5種のウイルスにおける発症率、潜伏期間、ウイルス排出期間および曝露後の発症予防法を一覧した。

表1.外因性院内感染が問題となるウイルス

 
発症率
潜伏期間
ウイルス排出期間
曝露後の発症予防法
麻疹
98%
10〜12日
−4〜+6日
ガンマグロブリン
水痘
90%
14〜16日
-1〜+6日
アシクロビル
ムンプス
70%
18〜21日
−7〜+9日
不定
風疹
70%
14〜21日
−7〜+14日
なし
インフルエンザ
高い
1〜2日
0〜+3日
アマンタジン、ザナミビル

4)中和抗体と持続感染
 液性抗体(中和抗体)反応が惹起される急性感染症では、血清抗体価の上昇と治癒(病原体の消失)が一致する。急性発疹性ウイルス(麻疹、水痘、風疹、ムンプス、突発性発疹、伝染性紅斑)およびA型・B型肝炎ウイルスが代表格である。毒素産生性細菌(百日咳、ジフテリア、破傷風)や莢膜産生菌感染症(肺炎球菌、インフルエンザ菌)でも、血清抗体と補体が感染防御の主役をなす。

 一方、血中抗体価の上昇が病原体の存在を意味する持続感染症が存在する(この場合、中和抗体は産生されない)。エイズウイルス(HIV)、成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)、C型肝炎ウイルス(HCV)、Epstein-Barr (EB)ウイルスの感染症が含まれる。B型肝炎ウイルス(HBV)感染症では、血中の抗HBs抗体が治癒を意味するのに対して、HCV感染症では血中HCV抗体の存在がウイルスの感染持続状態を反映している。粘膜に持続感染するピロリ菌でも、血中IgG抗体価の上昇が菌の胃粘膜への持続感染を反映する。

 持続感染が成立している場合でも、生体反応は多様である。HCVやピロリ菌感染症では、活動性慢性炎症を伴う場合(慢性活動性肝炎、慢性活動性胃炎)と炎症反応が軽度(非活動性)の場合がある。血中抗体価と炎症の程度の関連性をみると、HCV感染症では抗HCV抗体価と炎症の程度に相関性が乏しいのに対して、ピロリ菌感染症では両者が相関する。

5)感染防御系
 好中球およびマクロファージは、貪食作用により病原体を非特異的に殺菌・溶菌する。貪食空胞内の殺菌性酵素には、ペルオキシダーゼとリゾチームがある。リンパ球では、NK (natural killer) 細胞が非特異的キラー活性を示す。これら細胞群は、特異的な免疫反応(中和抗体反応や細胞性免疫反応)が成立するまで(感染後2週間ほど)の期間における生体防御反応の主役となる。
一方、病原体壁や毒素に対する特異的感染防御機構には、B細胞の産生する特異抗体と補体の協同作用による液性免疫、およびT細胞(キラーT細胞)と活性化マクロファージの協同作用による細胞性免疫があげられる。

6)日和見感染
 抗癌剤療法、免疫抑制療法、放射線療法、再生不良性貧血、エイズあるいは加齢などにより免疫状態が低下した易感染性宿主では、健常者では感染が成立しないような弱毒病原体に感染しやすくなる。この日和見感染症では、上に述べた防御系欠落の種類によって、感染しやすい病原体が限定される。たとえば、高度の骨髄抑制の際には主として好中球数が減少するため、好中球が防御反応の主役を演じる病原体、すなわち、化膿菌、腸内細菌、カンジダ、アスペルギルスの感染が生じやすい。ステロイド療法やエイズなどでリンパ球が減少すると、ウイルス、結核菌、クリプトコッカス、原虫類など、細胞内増殖を示しT細胞による細胞性免疫が感染防御の主体となる病原体が感染しやすい。莢膜産生性細菌感染症では、液性抗体と補体が感染防御の主役となる。造血幹細胞移植後一年以降(後期)や補体欠損症ではこれら病原菌に対する感染リスクが高まる(表2)。

 全身の免疫状態に異常がなくても、局所的な異常(常在菌叢の乱れ)が生じれば、日和見感染がもたらされる。抗生物質の長期内服で菌交代現象が生じると、嫌気性菌、緑膿菌やカンジダの腸管粘膜や気道粘膜への日和見感染が生じる。リンコマイシン経口投与では、ディフィシル菌起因性偽膜性腸炎が続発する。皮膚にステロイドを外用すると、糸状菌(水虫)やカンジダの感染が続発しやすい。

表2.病原体、防御系と組織・細胞反応

主たる防御系 病原体 特性 組織反応 易感染状態
好中球 アスペルギルス、化膿菌、
腸内細菌、 カンジダ(深在性)
細胞外寄生 膿瘍 骨髄抑制
T細胞/
マクロファージ

カンジダ(表在性)、結核菌、
クリプトコッカス、原虫、
ヘルペス
属ウィルス

細胞内寄生 肉芽腫 エイズ、
ステロイド投与
中和抗体/
補体
髄膜炎菌、肺炎球菌、
インフルエンザ菌、単純ヘルペス、水痘、B型肝炎、麻疹
有莢膜菌
持続感染
蜂窩織炎
封入体形成
補体欠損症
限定的免疫抑制

 造血幹細胞(骨髄)移植後:早期は好中球減少、中期はT細胞不全、後期は抗体形成不全

7) 内因性感染症と外因性感染症
 消化管や皮膚に常在する微生物による感染症は内因性感染症といわれる。MRSAによる院内感染の大部分は医療者の手指を介した接触感染であり、外因性感染症の代表である(だたし、咽頭粘膜に定着したMRSAが肺炎を続発する場合は内因性感染の色彩を有する)。腸管内のみならず、環境中の水系にも広く分布する緑膿菌は、内因性・外因性感染の両者を生じうる。一方、上述した抗生剤使用による菌交代現象や宿主の免疫不全状態による日和見感染症の多くは内因性感染症である点は、感染防止の視点から重要である。当然ながら、マスクやエプロンの着用、さらには無菌室の運用で防ぐことができるのは外因性感染症のみである。

8) ヒトからヒトへと伝染する感染症(伝染病)、伝染しない病原体
 感染症予防新法に規定された病原体は、当然ながら、ヒトからヒトへと感染が伝搬してゆく。もっとも恐ろしいエボラ出血熱やペストなどの一類感染症は、伝染力と致死性がともに高い。細菌性赤痢、腸チフス、コレラ、ジフテリア、ポリオなどの二類感染症は伝染力が強いが、治療法が確立されている。

 一方、すべての病原体がヒトからヒトへと伝染するわけではない。ヒト→ヒト感染を生じない病原体としては、レジオネラ、非結核性抗酸菌、誤嚥性肺炎をひきおこす口腔内常在菌、膀胱炎の原因となる大腸菌、アスペルギルス、クリプトコッカスなどがあげられる。食中毒菌もヒトからヒトへは伝搬しない(三類感染症に分類される病原性大腸菌O-157を除く)。ハンセン氏病におけるらい菌の感染経路は不明だが、成人→成人の感染は生じない。節足動物を介して感染する疾患(日本脳炎、ツツガムシ病、オウム病、ネコひっかき病、住血吸虫症)もヒト→ヒト感染は生じない。ただし、マラリア、黄熱、デング熱は、蚊を介してヒトからヒトへと感染が広がる。アメーバ赤痢の発症者が排出するアメーバの栄養体には感染リスクはない(キャリアが排出する嚢子は感染性あり)。寄生虫(線虫)では、蟯虫が感染力のある受精卵が肛門周囲に付着する。回虫や鉤虫の受精卵が感染性を獲得するには土壌中での熟成が必要であり、排泄直後の便中の受精卵には感染力がない。

2.感染のメカニズム
 感染症の成立には表3に示す6つの要因が必要である。逆に、これらのうち1つでも阻止できれば、感染症を予防することが可能である。感染予防対策の視点からみると、感染経路の遮断およびワクチン接種による宿主抵抗力増強がもっとも容易で効率的である。必要に応じて、抗菌剤、抗ウイルス剤、ガンマグロブリンの予防投与が行われる。一方、病原体の存在を絶つのは困難で、これまでに天然痘ウイルスが撲滅されたに過ぎない。

表2.感染症の成立に必要な6要素
 @ 病原体の存在
 A 病原体の感染力(病原性)
 B 接種菌量
 C 感染経路
 D 感染部位(カテーテル挿入、褥瘡の存在など)
 E 宿主の感受性・抵抗力

1)感染源対策
 ヒト→ヒト感染を生じる感染症の感染源対策の基本は患者の個室隔離である。上述のごとく、病原体自体を消滅させることは困難である。一方、動物→ヒト感染の場合は、動物の隔離や、必要に応じて、屠殺が行われる。

2)感染経路別対策
 表4に感染経路と原因病原体を一覧する。同一世代、同一集団内の病原体伝搬を水平伝搬と称する一方、母子感染は垂直伝搬とよばれる。感染症予防対策のポイントは感染経路別対策(感染経路を絶つこと)にある。接触感染、飛沫感染、空気感染および切創事故による感染が院内感染・業務感染のルートとして重要である。

 表5として、ヒト→ヒト型伝播をきたす感染症を媒体と伝播距離を考慮してまとめなおした。それぞれの対策も付記したので参照されたい。

表4.感染経路別の感染症
@ 接触感染: 直接あるいは器具などを介して間接的に保菌者間を微生物が移動する。
例)性感染症、膿痂疹、疥癬、MRSA感染症、病原大腸菌O-157感染症、ウイルス性出血熱

A 飛沫感染: 咳、くしゃみ、会話などで飛び散る径5 mm以上の飛沫を介する感染。飛沫は1 m以内に落下し、空中に浮遊し続けることはない。机などに落下した飛沫を介した接触感染も重要である。
例)髄膜炎菌性髄膜炎、インフルエンザ菌感染症、百日咳、マイコプラズマ症、インフルエンザ、風疹、ムンプス

B 空気感染: 径5 mm以下の飛沫核(微生物を含む飛沫が気化したあとの微粒子)による感染。空気の流れによって広くまき散らされる。乾燥に強く、少数の吸引で感染が成立する次の4病原体に限られる。
例)結核、水痘、麻疹、レジオネラ症(一次感染のみ)

C 一般媒介物感染: 汚染された食物、水、薬剤、医療器具等によって伝播される。
例)食中毒、コレラ、ポリオ、A型肝炎、アメーバ赤痢、腸管寄生虫症

D 節足動物媒介感染: 蚊、ハエ、ダニ、ノミ等によって媒介される。
例)日本脳炎、ダニ脳炎、黄熱、デング熱、クリミア・コンゴ出血熱、リケッチア症、野兎病、マラリア、フィラリア、リーシュマニア症、トリパノソーマ症 

E その他の感染経路:

 (1) 経皮感染:病原体が正常皮膚を通過して感染する。
   例)鉤虫症、糞線虫症、住血吸虫症、野兎病、ブルセラ症、レプトスピラ症

 (2) 輸血や切創事故による感染:輸血や血液・体液で汚染された医療器具の切創事故(針刺し事故を含む)により感染が成立する。
例)B型・C型肝炎、エイズ、マラリア

(3) 母子感染:
 病原体が経胎盤性、経産道的あるいは経母乳性に胎児・新生児に感染する。
例)成人T細胞性白血病ウイルスキャリア、B型肝炎ウイルスキャリア、エイズ、先天性風疹症候群、サイトメガロウイルス感染症、パルボウイルスB19感染症、先天性梅毒、先天性トキソプラズマ症

表5.ヒト→ヒト型伝播の媒体、伝播距離と対策

媒体 伝播距離 感染症 対策
長距離 赤痢、コレラ、腸チフス、ポリオ、A型肝炎 塩素消毒
中〜長距離 マラリア、黄熱、デング熱、 ボウフラ対策
空気 中距離 結核、麻疹、水痘 微粒子用マスク着用、個室隔離、換気
飛沫 短距離 インフルエンザ、風疹、ジフテリア、髄膜炎 マスク着用、個室隔離、うがい、手洗い
短距離 鼻かぜ、ポリオ、A型肝炎、赤痢、O-157、MRSA 手洗い、手指消毒
直接接触 ゼロ距離 エイズ、性感染症 コンドーム
血液 ゼロ距離 B・C型肝炎、エイズ リキャップ禁止、安全機材

3)予防接種
 予防接種で感染を防止できる感染症に対しては、ワクチン接種を励行したい。

 医療者やケア実施者は、予期せぬ切創事故に備えて、B型肝炎ワクチンの接種は義務であると考えたい。3回接種により血中にHBs抗体が陽性となれば、もはやB型肝炎を発症するリスクはない。

 高齢者ケアを考える場合、インフルエンザワクチン接種は重要である。わが国では二回接種が奨励されるが、実際には一回接種で有効である。インフルエンザの重症化は小児と老人で生じやすく、死亡例の多くはこれら年齢層に属す。インフルエンザウイルスは感染力と増殖力が高い。不活化ワクチンは粘膜におけるウイルス感染そのものは防止できないが、いったん侵入したウイルスを効率よくたたくため、重症化が避けられる。

 11月下旬から12月上旬にインフルエンザワクチンを接種すべき対象は、高齢者(とくに老人ホームなどの福祉施設入所者)と小児、それに加えて医療者である。医療者はリスクの高い患者さんに密接に接触する。だからこそ、ワクチンをうってインフルエンザを免れ、患者さんへの院内感染を防ぐ義務がある。福祉施設で働く人、介護ヘルパー、在宅で高齢者のケアをしている家族も同様である。一人ひとりがワクチン接種を受けて、自らを守るとともに友人や家族にインフルエンザをうつさない。そうした輪を広げたい。

 結核の予防接種(生ワクチン)として行われているBCGについては、その有効性に対して疑問符が投げかけられている。肺結核症を発症(業務感染)した医療関係者の多くは、BCG接種によるツ反陽転者である。つまり、小児期のBCG接種による成人期における結核発症阻止効果には限界がある(業務に伴う結核菌大量暴露の場合、BCG接種による予防効果は期待できない)。米国では国民に対してBCGは接種されていない。2002年3月、厚生労働省も小中生に対するBCG接種を廃止する方針を打ちだした。医療者は、小児期のBCG接種によるツ反陽転の既往を盲信してはならない。また、成人に対するBCG接種の結核予防効果は確認されていない。

 小児や若年者(通常40歳以下)の血清抗体陰性者に対しては、麻疹および水痘の予防接種(生ワクチン)も重要である。しかし、高齢者ではこれらウイルスに対する中和抗体は陽性とみなしてまず差し支えない。

 ワクチンのないC型肝炎やエイズに関しては、切創事故の予防が何より大切である。エイズ予防のための一般標語「知識という名のワクチン」という考え方は、そのまま肺結核症をはじめとする業務感染の予防にも応用できる。結核症や肝硬変症だから注意するのではなく、スタンダード・プレコーションの考え方に基づいた基本的な対策をすべてのケアに際して行いたい。

 4)病原体の病原性
 病原体の示す病原性は、感染力のみならず、疾病の重症度や慢性化を決定している。病原性は、組織・細胞侵襲性、組織障害性(毒力)、病原体の増殖性に依存する。

 表6に代表的な病原菌の増殖速度および発症に必要とされる病原体量を一覧する。
腸炎ビブリオはもっとも増殖速度の速い細菌に属す。結核菌の増殖速度は著しく遅い。MRSAの増殖速度はMSSAより相当にゆっくりであるため、抗生物質を使わない状況ではMRSAは徐々にMSSAに置換されてゆく。

 発症に必要な菌量も病原菌によって大きく異なる。食中毒菌が食中毒を生じるのには105〜108個が必要となるのに対して、腸管出血性大腸菌O-157、赤痢菌や結核菌は場合によっては101個レベルの菌数で発症しうる「感染力」の高い細菌である。したがって、これらの細菌の汚染に対してはより厳密な消毒が必要となる。

表6.細菌の増殖速度(至適条件下の世代時間)と感染症発症に必要な病原体量5

病原菌
増殖速度
発症に要する菌量
腸炎ビブリオ
7.5〜8 分
10万〜1億
コレラ菌
20〜30 分
1万〜100万
腸管出血性大腸菌O-157
20〜30 分
10〜100
赤痢菌
30〜40 分
10〜1万
チフス菌
30〜40 分
10〜1000
サルモネラ
30〜40 分
10万〜1億
メチシリン感受性黄色ブドウ球菌(MSSA)
50〜60 分
----------
メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)
90〜120 分
----------
結核菌
11〜12 時間
10〜1000

3. リスクに応じた感染防止対策、環境に優しい感染防止対策
 感染防止対策を実践するにあたって、リスクに応じた効率的な対策を行うことが肝要である。接触感染に関する感染リスクとそれに応じた消毒レベルを表7にまとめた。トイレの便座に微生物が存在していても、健常皮膚には感染を生じない。同様に、ドアノブ、手すり、リハビリ器具、介護用品や車椅子も原則として消毒無用である。ただし、便座に病原性大腸菌O-157が付着している場合は、手指との接触にひき続く経口感染を生じる可能性があるため、同部のアルコール消毒と十分な乾燥が求められる。

表7.感染リスクと消毒のレベル

リスク
内容
消毒のレベル
高リスク 直接体内に接触・導入される器具 滅菌 手術器具、注射針、
ドレッシング剤
中間リスク 粘膜に接する器具、易感染者用の器具、体液・病原体に汚染された器具 消毒 内視鏡、挿管チューブ、NGチューブ
低リスク 健常皮膚に接するもの 洗浄・乾燥 トイレ便座、洗面台、
ドアノブ、リネン類
最小リスク 皮膚に直接触れないもの 清掃 床、壁、天井

1)環境消毒無用
 手術室、集中治療室(ICU)といった清潔域でも、床や壁に微生物がいるのは差し支えない。床や壁に直接触ることはあり得ないからだ。そもそも、床を無菌化することなど不可能である。床の微生物学的汚染状況の調査や床の消毒といった行為は無駄であり、消毒剤を床などの環境に噴霧することは厳禁である。病室、手術室や解剖室のホルマリン薫蒸も無用である。粘着マットの使用は無効である。何より、室内の空気清浄度を保つ(空中浮遊微粒子数を少なく保つ)点が重要である。送気口のHEPAフィルターの定期的な保守・点検が求められる。当然ながら、無菌操作の前に埃のたつリネン交換を行ってはならない。

2) 一次消毒無用
 わが国の病院の多くで、強力な消毒剤であるグルタラールが一次消毒用に用いられている。救命救急センター、手術室や肝炎病棟で使われたメスやはさみなどの器具は水洗ののちに、20〜30リットル入りの容器内に漬けられる。消毒効果は高いが、処理する若い看護婦はたいへんだ。グルタラールは発癌性がとりざたされているホルマリンの親戚の揮発性物質である。強烈な刺激臭によって鼻や目から液体が流れでる。身体的負荷のみならず、コストも決してばかにならない。最終的に下水へと流れる消毒剤が地球環境に優しかろうはずがない。院内感染対策の進んだ英国の感染管理看護婦(ICN)にこの点を尋ねると、一言「信じられない!」 消毒剤を使わない高圧蒸気滅菌(オートクレーブ)処理が常識なのだ。わが国の病院では、残念ながら、滅菌装置を備えた中央滅菌材料室の処理能力が不十分なことが多いし、滅菌を要する使用済み器具を中材に安全に運ぶルートがない。
 こうして空しく多用される消毒剤が、わが国独特の「病院のにおい」の原因となっている―。

3) マスクの功罪

 MRSA感染患者を隔離する病室、重症患者のいるICUや白血病患者用の無菌室ではマスクを着用すべきだろうか。MRSAは接触感染する。医療者の息やつばきから飛沫感染する確率はゼロに近い。マスクはMRSAによる院内感染を防ぐ手段にはならない。マスクをすれば医療者が自分の口や鼻に触らなくなる。そのことを通じて、間接的に接触感染を防ぐ、あるいはMRSAの鼻前庭への定着を防ぐ効果はある。しかし、その効果は姑息的で、医療者が病室では自分の顔を触らない訓練が徹底すれば無用となる。スタンダード・プレコーションの原則に則って、医療者の鼻前庭にはMRSAがいるものとみなせば、鼻前庭の細菌学的検査やムピロシン軟膏の塗布も無用であることがわかる。むしろ、MRSAが陰性だったから、ムピロシンを塗ったからもう大丈夫とばかり、検査や薬剤塗布直後にMRSAがついたかもしれない鼻を平気で触ってしまう「安心感」が恐ろしい。

 隔離病室、ICUそして高齢者のケアにおいてマスク以上に大切なのは、家族や医療者の"笑顔"である。リスクを低減する効果の少ないマスクは、家族や医療者の声を聞きとりにくくするばかりか、せっかくの美人を台なしにしてしまう。

4) 十分な洗浄と乾燥は消毒と同等
 消毒とは、人体に有害な微生物の感染性をなくすか、発病レベル以下に菌量を減らすことをさす。無菌状態をつくる滅菌とは区別されねばならない。表面が平滑な器具類や洗濯可能なリネン類では、よく洗浄することで付着菌が相当程度洗い流される。一方、乾燥することの消毒効果もよく知られている。乾燥状態でも生き残る病原体は、結核菌、MRSA、芽胞菌などに限定される。大腸菌、緑膿菌、食中毒菌など、多くの細菌は乾燥により死滅する。したがって、十分な洗浄と乾燥は高い消毒効果をもたらすとみなされる。器具やリネンの消毒用に、この効果がうまく利用されるべきである。

 ちなみに、血液や体液で明らかに汚染されたシーツや枕カバーの場合は、次亜塩素酸ソーダ液への浸漬の代わりに、熱による消毒が望まれる。80℃の加熱式洗濯機を用いた方法が最適である。通常の細菌に対する熱消毒は、65℃10分、70℃2分、80℃1分、90℃1秒以上が基準とされる。

 環境の清潔度を高めるためには、逆に、洗浄や清掃のしやすい構造が求められる。大便器の場合を考えてみよう。欧米の病院や福祉施設の大便器は例外なく壁排水式で、便器が壁にとりつけられている。この構造だと、便器と床の間があいており、床を清掃しやすい。わが国に圧倒的に多い床排水式の洋式トイレでは、床を清潔を保ちにくいことは自明である。わが国でも、一流ホテルやコンサートホールでは壁排水式大便器が普及している。トイレを清潔に保つことが使命なのは、これら一流施設だけではないはずなのだが―。

5) 消毒剤のつぎ足し補充禁止
 消毒用エタノール、ポビドンヨード(イソジン)、塩化ベンザルコニウム(オスバン)、グルコン酸クロロヘキシジン(ヒビテン)、塩酸アルキルジエミノエチルグリシン(テゴー51)といった消毒剤といえども、必ずしも無菌ではない。緑膿菌、セパシア菌、アシネトバクター、アルカリゲネスといったブドウ糖非発酵グラム陰性桿菌類は消毒剤の中でも増えてゆく。とくに、緑膿菌が悪名高い。ベイスン式の消毒剤の使い方が禁止である理由はまさにこの点にある。

 同様に、酒精綿や容器入りの消毒剤をつぎ足し使用することは厳禁である。酒精綿は毎日必要量をつくり替えねばならない。一度に大量の酒精綿を使うことや使い残しがなくなる効果から、単回使用目的で市販されている酒精綿パッケージを使用する方がかえって経済的であるとする報告がある。在宅ケア用製品も入手可能である。容器入り消毒剤を入れ替える際には、容器の内側をよく洗ったのちに十分乾燥させるべきである。

6) 安全な点滴を
 点滴用三方活栓の穴の部分はキャップでカバーされるが、ここにたまる水分は一時的に外気に曝される。アルコール消毒されるにもかかわらず、この露出部からは高い確率で細菌が培養される。カテーテル感染のリスクを低減する目的で、閉鎖式輸液回路とよばれる点滴ルートが有効である。残念ながら、日本ではこの安全器材の導入は限られている。

 一方、中心静脈栄養による感染事故(カテーテル敗血症)の確率は10%にのぼるという。また、カテーテル敗血症をきたすと4人にひとりで感染が直接の死亡原因となる。カテーテル敗血症は皮膚挿入部の感染が原因となるため、高度の感染防止対策(マキシマム・バリア・プレコーションとよばれる準無菌操作)が必要となる。手術室に準じて、十分な皮膚消毒、清潔な手袋、滅菌ガウン、マスク、帽子の着用、大きくて清潔な覆布の使用、皮膚刺入部を密封する滅菌シートの使用が求められる。
 たかが点滴、されど点滴。患者を支えるための点滴があだにならぬよう、安全な点滴を常に心がけたいものだ。

7) 切り花にも気配りを
 病室に飾るお見舞い用切り花は、患者さんの心を和ませてくれる。しかし、鼻の表面に付着しているアスペルギルスが易感染患者(とくに好中球減少のある場合)に感染リスクをもたらす可能性を念頭におきたい。花粉の多い花はアレルギー反応を誘発するおそれがある。さらに、花瓶の水を替える際に、水中で増殖する緑膿菌が手指に付着する。こうした点に関して、家族や付き添いに対する教育・啓蒙が必要となる場合があることをいつも意識していたい。

4. 代表的な感染症における感染防止対策のポイント
1) インフルエンザ
 インフルエンザは感染力が高く、飛沫感染する。インフルエンザに罹患したケア担当者は急性期を過ぎるまで休暇をとるのが原則である。ケアを実施する場合は、ガーゼマスクの着用とイソジンガーグルなどを用いたうがいの励行が必要である。ウイルスを含んだ飛沫が机の上などに飛散する可能性が高いため、手洗いの励行も怠ってはならない。患者がインフルエンザに罹患した場合は、マスク、うがい、手洗いに関する指導が必要となる。上述したごとく、高齢者とケア担当者に対するインフルエンザワクチン接種は大きなポイントとなる。

2) 結核
 結核は空気感染(飛沫核感染)を生じる。排菌患者は結核療養所で療養するのが原則である。療養所へ移動前の排菌患者は個室隔離されねばならない。室内が陰圧に保たれた隔離室が望ましい。部屋の換気回数は重要である。1時間あたり12回なら、浮遊菌の90%除去に12分程度、99%除去に24分程度、99.9%除去には36分程度と計算されている。循環式換気の場合、空気はHEPAフィルターで濾過する。流入する空気に対する紫外線照射も効率的に浮遊結核菌を殺菌する。ベッド(患者の頭部)は可能な限り排気口近くにおくとよい。ケア担当者や家族は、空気の流れを考えた位置で患者と接するとようにしたい。患者より送気口よりの位置に立てば、空気感染のリスクはかなり低減する。

 個室をでる場合や診察を受ける際には、排菌患者にはガーゼマスク(飛沫をトラップできる)を着用してもらう。一方、ケア担当者が排菌患者と接触する診察や検査の際には、ケア担当者はN95微粒子用マスクを着用すべきである。きちんと装着したN95マスクは結核菌を含む飛沫核を効率よく吸着し、空気感染を効果的に防止する。

 結核菌曝露のおそれがある場合、胸部X線の定期外健診に加えて、ツベルクリン反応が行われる。ツ反の発赤径が30 mm以上で前回よりも10 mm以上大きくなった場合や10 mmを越える硬結と水疱が生じた強陽性者にはイソニアジドの予防投与を考慮すべき場合がある(ただし、30歳以上では公費負担の対象とならない)。上述のごとく、成人に対するBCG予防接種は有効性が確定されていない。

3) 多剤耐性菌(MRSA、緑膿菌)
 これらはいずれも接触感染を生じる。接触は主として手指を介するため、徹底した手洗いが重要となる。手洗いの前提条件は、腕時計・指輪の非着用、半袖の白衣である。正しい手洗いは、手のひら、手の甲、指先、指の股、親指のつけね(ねじり洗い)、および手首の6ヶ所をそれぞれ5秒間ずつ、計30秒間洗ったのち、使い捨てペーパータオルで拭いて十分に乾燥させる。最低でも計15秒間の手洗いを行いたい。保菌者と接触する場合や血液・体液に触れる可能性のある場合は、消毒剤を用いた手洗いを行った上で手袋を着用する。理論的には、一処理一手洗いが望まれる。しかし、実際の実行はなかなか難しい上、手洗いのしすぎは手荒れの原因となる。手荒れは細菌増殖を著しく助長する。したがって、適切な手荒れ防止クリームの使用が必要となる。

 最近では、実施困難な徹底した手洗いに代わって、アルコールを主剤とし、皮膚保護材が配合された即乾式手指消毒剤による手もみ消毒が推奨されている。石けんによる手洗いによってあらかじめ手の汚れを除いておくことが前提条件である。正しく手もみ消毒すれば、効率よい消毒効果と手荒れ頻度の減少が期待できる。

 上述したごとく、MRSAは鼻前庭部に定着しやすい。ケア担当者は自らの鼻にはMRSAがいるとみなして、「顔を触らない」(肩から上に手をあげない)ことを習慣づける必要がある。患者診察に際しては、顔を触ってから患部を触るようなことのないように、診察の順番にも気を遣いたい。入院患者では、MRSAは鼻前庭とともに、陰部や咽頭にも定着しやすいことは知っておきたい。患者や家族には、接触感染に関するわかりやすい説明をして、手洗いやうがいの励行に協力してもらう必要がある。

4) 血液媒介感染症
 HBV、HCVやHIVなど血中に存在するウイルスは、針刺し事故などの切創事故により感染が生じる。感染防止対策の基本は、手袋の着用、リキャップ禁止(どうしてもリキャップが必要な場合は片手すくい上げ式か固定式リキャップ装置を利用する)、非貫通型針捨てボックスの使用、廃棄後の適正管理、安全装置つき注射針の導入にある。生じた切創事故の相手がHCV患者だから届けでるのではなく、すべての切創事故が報告されるべきである。未知のウイルスが血液に潜んでいるかもしれないし、切創事故の生じやすい状況の解析を通じて次の事故防止対策につなげられるのがその理由である。

 HBV感染対策には、ワクチン接種が前提となる。HBs抗体陰性者の切創事故に際しては、ガンマグロブリン投与とワクチン接種が行われる。HCVの事故では、定期的健診によるフォローアップが基本となる。HIVの場合は、原則として、抗HIV薬3剤の予防内服を受傷直後に開始することが求められる。エイズ拠点病院には抗HIV薬が配備されている。

 針刺し事故の場合の感染リスクは、HBV(HBe抗原陽性の場合)30%、HCV 3%、HIV 0.3%とされている。

5) 梅毒
 梅毒は性的接触により感染が成立する。業務感染の大部分は、手袋をしない内診により生じた医師の指先の感染である。たとえワッセルマン反応(STS)陽性の血液が輸血されても、梅毒は伝搬しないとされている。まして、通常のケアを通じて梅毒が感染することはまずありえない。

 なお、STSは感染後3〜4週で陽性化し、治癒後には陰性となる。一方、TPHAはSTSに1週間遅れて陽転し、治癒後も陽性反応が持続する。

6) レジオネラ肺炎
 レジオネラによる院内感染では、空調で送風される空気中の微小な水粒子を介した空気感染が問題となる。レジオネラは偏性細胞内寄生菌であり、水中では非病原性自由生活アメーバの細胞内に寄生し増殖する。アメーバが乾燥からの菌体保護に働き、飛沫核内のレジオネラは感染性を発揮する。ヒトの病変部ではマクロファージ内で増殖するが、マクロファージは乾燥に弱いためにレジオネラが生存し続けられない。したがって、ヒト→ヒト感染(二次感染)は生じない。

 消毒剤がアメーバ内の菌に届きにくいこと、アメーバ嚢子が熱に耐性である点が感染防止対策上の難点となる。空調・給水施設の定期的な検査と消毒が必要となる。水冷式冷却塔内の塩素系消毒剤濃度が10 ppm以上を保つようにすべきである。
水をエアロゾル化する加湿器は危険度が高いため、原則として病室では使用禁止とすべきである。水があるところにはアメーバが存在する。どうしても加湿器を使用する場合は、頻繁に内部を洗浄し、定期的に水を交換する必要がある。なお、24時間風呂の湯からもレジオネラが頻繁に検出される。しかし、24時間風呂のお湯は通常エアロゾル化しないので、必ずしもレジオネラ肺炎のリスクが高いとはいえない。

7) プリオン病
 治療法のない痴呆性疾患であるクロイツフェルト・ヤコブ病の原因となるプリオンは、消毒剤や熱に高度耐性の感染性蛋白である。ホルマリン固定や煮沸後の組織にも感染性が証明されている。プリオン蛋白の不活化には、3%ドデシル硫酸ナトリウム(100℃5分)、高圧蒸気滅菌(132℃1時間)、1 N水酸化ナトリウム(室温1時間)、1〜5%次亜塩素酸ナトリウム(室温2時間)といった激しい処理が必要となる。もっとも確実な方法は、汚染物の焼却処分である。

 プリオン蛋白の感染経路は不明だが、乾燥硬膜や角膜の移植や下垂体抽出物の注射は感染をきたす。病理解剖で中枢神経そのものを取扱う場合の危険がもっとも高い。一方、輸血や血液製剤による感染は知られていない。通常の診療・看護行為で本症を発症した事例もない。したがって、通常のケアで感染が成立するリスクは著しく低い。

8) 疥癬
 疥癬はヒゼンダニの表皮角層内寄生に基づく掻痒感の強い感染性皮膚疾患である。脳外科病棟や老人福祉施設で感染が蔓延する傾向がある。とくに、痴呆や麻痺性疾患を罹患する老人では掻痒感を訴えることが少ないため、高度の感染が潜行する可能性がある。高齢者や免疫不全者に生じる重症型疥癬はノルウェー疥癬とよばれ、無数のダニが寄生するために交差感染力がとくに高い。皮膚の直接接触、あるいはリネンを介した(間接接触による)交差感染が生じうる。潜伏期間は2〜4週である。適切な早期治療が感染防止の基本である。下着類、寝間着、シーツ類は温湯消毒(50℃10分以上)する。ケアに際しては、手袋とプラスチックエプロンを着用する。手袋をはずしたあとの手洗いもまた重要である。

5. 感染性廃棄物処理
1)紙おむつ
 高齢化社会では、大人用の紙おむつが大量に使用される。ずっしりと重い使用済みの紙おむつが医療施設からでる場合は感染性廃棄物として取り扱われることが多い一方、家庭からでれば一般ごみだ。事実、病院の紙おむつの処理をひきうけてくれない市町村は多い。だから、高い料金を支払って感染性廃棄物業者に処理をまかせざるを得ない。紙おむつはいわゆる感染性廃棄物総量の約半分を占めている。そもそも、紙おむつは本当に感染性廃棄物なのだろうか。

 体液、血液、滲出液が付着した医療ごみは、現行法規の下では、「感染性廃棄物」とみなされ、焼却処分を中心とする滅菌処理が求められている。しかし、環境に影響を与えるこうした処理が、本当にすべての感染性廃棄物に対して必要なのだろうか。医療ごみから感染が生じる可能性はどの程度なのか、実はきちんとしたデータはない。少なくとも、ごみの中でMRSAや肝炎ウイルスが増殖することはありえない。

 神奈川県の北里大学病院では大人用紙おむつを廃し、くりかえし洗濯でき、しかも装着感のよい布おむつを導入している。80℃の業務用洗濯機を備えたリネン室の充実が前提条件となっている。経費削減と環境への優しさを両立させたすばらしい実践といえる。

2)在宅医療からでる感染性廃棄物
 廃棄物処理法では、医療廃棄物を排出する医療関係機関等は、病院、診療所(保健所、血液センターを含む)、衛生検査所、老人保健施設、助産所および試験研究機関(医学、歯学、薬学、獣医学関連に限る)と定義されている。企業や学校における医務室、薬局ははずされている。在宅医療の普及により一般家庭からも紙おむつ、腹膜透析器具、点滴セット、インスリン自己注射用器具などの感染性廃棄物や抗癌剤が排出されるが、法的にはこれらは医療廃棄物とはみなされない。

 同じものが病院からでれば危険な感染性廃棄物、在宅からでれば普通のごみである現状は筋が通らない。この矛盾を解決すべく自治体ごとに努力が払われているが、現在のところ不揃い度が高い。「廃棄物処理法」は、建築廃材、工場廃液、屎尿や下水汚泥の処理を中心につくられており、量的に圧倒的に少ない医療ごみは付加的に取り扱われているに過ぎない。ぜひ、独立した「医療廃棄物処理法」の制定をめざしたいものだ。

3)適切な分別の実践を
 ごみ処理対策の基本は4つのRに代表される。すなわち、refuse(拒絶)、reduce(減量)、reuse(リユース)、recycle(リサイクル)である。ここでは地球環境への配慮が優先され、余分なごみをださない、過剰な(環境に優しくない)処理はしないことが原則となる。医療ごみについてもその例外とはなりえない。まず、手袋、マスク、エプロンや紙類などが「使い捨て万能主義」の中で無駄に使われていないか見直し(拒絶、減量)、リユースできるものはないか、リサイクルのための分別はできているかをチェックする必要がある。

 使用済みの点滴ラインを考えてみよう。まず翼状針を切り離し、エア針はボトルから抜いてsharps containerに廃棄する。その上で、点滴ボトル(非塩ビ製プラスチック)と点滴ライン(塩ビ製)はぜひ分別したい。プラスチックのリユースには塩ビ製品と非塩ビ製品の分別が必須だからである。なお、血液の逆流が残る場合は、液量調節部(クレンメ)より末梢部のラインを切り離して、感染性廃棄物として取り扱われる。

まとめ
 本稿では、院内感染防止対策を総説した。ケアを受ける高齢者は何らかの身体的機能障害を有している。喀痰排出力が弱かったり、自覚症状を訴えにくいこともある。自力での活動が制限されている。どうしても口腔内や外陰部が不潔になりやすい。全身の免疫力が低下し、日和見感染を生じやすい状態にある。若年者と比べてケアに手間のかかる高齢者であるからこそ、リスクに応じた感染対策の徹底が効率的である。高齢者の人権を配慮したケアとともに、使い捨て万能主義を脱却した環境に優しいケアもぜひ心がけてほしい。


参考文献

1)
医療の安全に関する研究会、安全教育分科会(編).ユニバーサルプレコーション実践マニュアル.新しい感染予防対策.南江堂、1998.
2)
ICHG研究会(編).院内感染予防対策のための滅菌・消毒・洗浄ハンドブック.Mediculture、1999.
3)
堤寛.結核のバイオハザード対策.医学のあゆみ 198(3): 213-219, 2001.
4)
堤寛.感染症、標準病理学、第2版(秦順一、坂本穆彦、編)、2002、pp. 59-83.
5)
小林寛伊、吉倉廣(編).エビデンスに基づいた感染制御.メヂカルフレンド社、2002.
6)
堤寛.病院でもらう病気で死ぬな.現役医師が問う、日本の病院の非常識度.角川oneテーマ21、A-11、2002.
7)
堤寛.医療廃棄物処理システムの整備に関する提言.訪問看護と介護 7(3): 212-219, 2002.


感染防止と倫理的問題
(MR継続教育用テキストU、倫理.エルセビア・サイエンス、東京、2002、pp.178-185)

藤田保健衛生大学医学部第一病理学
「安全教育」分科会担当理事
堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D.


 皆さんは、わが国の院内感染防止対策のきっかけとなった富家恵海子氏の院内感染3部作をご存じだろうか。1990年1月に出版された第一作「院内感染」、1992年5月の第二作「院内感染ふたたび」、そして1995年4月の「院内感染のゆくえ」は現在いずれも文庫化されている(河出文庫、1997)。一般市民であり、ばりばりのキャリアウーマンである富家氏は東大病院でご主人を失った。肝硬変症に対する食道離断手術(現在ではもう行われない)後のMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)による院内感染が原因だった。彼女の著書から紹介しよう。

 ご主人は当時52歳の大学教員で、20歳台に受けた十二指腸潰瘍の手術時に輸血を受け、C型肝炎ウイルスに罹患、49歳時に食道静脈瘤を伴う肝硬変症と診断された。1987年8月に、食道静脈瘤に対する予防的離断術および脾摘術が施行された。術前に、手術したほうがよいことや手術方法が本人および家族に説明された。また、「予防的手術によって肝臓機能が悪化することはまったくないとはいえないが、まず大丈夫。現在の肝機能は、この種の手術を受ける人のちょうど真ん中くらい。術後は4〜5日間リカバリールームに滞在する」との説明も受けた。

 術後発熱が続き、術後6日目に脾摘部のドレーン排液から、多剤耐性菌であるMRSAが培養された。術後10日目には黄疸、肝機能異常と白血球増多を認めた。CTスキャンで左横隔膜下の膿瘍形成が確認された。同部の洗浄、バンコマイシン投与にもかかわらず病状は悪化した。高カロリー輸液で管理中に、呼吸不全、腎不全を併発したため、気管切開・人工呼吸器装着、血液透析が行われた。最終的には強度の黄疸をきたし、術後57日目に多臓器不全で死亡した。なお、MRSAの特効薬であるバンコマイシンは当時まだ保険収載されていない抗生剤だった。

 感染防止の倫理問題を考えるのにもっとも重要な点は、「正しい知識」である。正しい知識なしに「こうしたらよさそうだ」と考えることの罪深さを感じてほしい。

 感染防止の戦略には、@感染源対策、A感染経路対策、Bワクチン接種の3本柱がある。そのうち、もっとも効果的で重要なのは、感染経路の遮断である。MRSAに関しては、ワクチンはない。(表13)感染源対策は個室隔離なのだが、患者差別にもつながり、精神的な緊張感を強いることになる上、病巣隔離(ドレッシング剤などで病変部をカバーすること)で十分な場合が多い。"エム(MRSAの略称)がでれば個室へ"というのは誤った理解といえる。

 黄色ブドウ球菌は皮膚に常在する化膿菌であり、"おでき"の原因菌となる。黄色ブドウ球菌の一種で、抗生剤が効きにくいMRSAはもっぱら「接触感染」を生じる。決して飛沫感染や空気感染をするわけではない。経口感染も生じない。耐性菌は医療者の手指を介して、外部から患者を訪問する。したがって、医療者の徹底した手洗い、手指消毒が必要となる。病室の床をいくら消毒しても無効である。床を触った手で直接患者と接触することはあり得ないからだ。患者や医療者が頻繁に手を触れる場所については、洗剤(消毒剤の必要はない!)での拭きとりが有効である。

 手洗いの前提条件は、腕時計・指輪の非着用、半袖の白衣である。正しい手洗いは、手のひら、手の甲、指先、指の股、親指のつけね(ねじり洗い)および手首の6ヶ所をそれぞれ5秒間ずつ、計30秒間洗ったのち、使い捨てペーパータオルで拭いて十分に乾燥させる。最低でも計15秒間の手洗いを行いたい。保菌者と接触する場合や血液・体液に触れる可能性のある場合は、消毒剤を用いた手洗いを行った上で手袋を着用する。理論的には、一処理一手洗いが望まれる。しかし、実際の実行はなかなか難しい上、手洗いのしすぎは手荒れの原因となる。手荒れは細菌増殖を著しく助長する。したがって、適切な手荒れ防止クリームの使用が必要となる。

 最近では、実施困難な「正しい手洗い」に代わって、皮膚保護材を含むアルコール製剤である"即乾式手指消毒剤"による手もみ消毒が推奨されている。石けんによる手洗いであらかじめ手の汚れをとり除いておくことが前提である。正しく手もみ消毒すれば、効率よい消毒効果と手荒れ頻度の減少が期待できる。

 重要なのは、MRSAは鼻前庭部(鼻の穴の入口)に定着しやすい点である。ケア担当者は自らの鼻にはMRSAがいるとみなして、「顔を触らない」(肩から上に手をあげない)ことを習慣づける必要がある。患者診察に際しては、顔を触ってから患部を触るようなことのないように、診察の順番にも気を遣いたい。入院患者では、MRSAは鼻前庭部とともに、陰部や咽頭にも定着しやすい。患者や家族には、接触感染に関するわかりやすい説明をして、手洗いやうがいの励行に協力してもらう必要がある。

 残念ながら、MRSAは抗生物質が多用される病院にしっかりと巣くっている。とくに、わが国の病院の悪しき特徴となっている。そして彼らは、医療者の手指を介して患者から患者へと伝播してゆく。空気や食物を介するわけではない。MRSAは健康な医療者に病気をおこすことはないが、手術を受けたり、白血球が減少した患者には、命を危うくする可能性のある凶器となる。富家氏のご主人はまさに、その代表的な事例(被害者)だったのだ。どうして、病気を治すはずの病院で、別の病気をもらって死ななければならなかったのか?この当たり前の疑問にたった一人で真っ向からとり組み、医療界の"パターナリズム"の一角をみごとに切り崩した富家女史の勇気と先見性と倫理観に大きな拍手を送りたい。

 そのほかの感染経路として、空気感染と飛沫感染が代表的である。空気感染と飛沫感染はしばしば混同されるが、厳密に区別したい。飛沫とはくしゃみや咳のしぶきであり、粒子径が大きいために、飛沫に含まれる病原体は1 m以上離れた場所には届き得ない。通常の風邪、インフルエンザや百日咳など、多くの呼吸器感染症が飛沫感染をきたす。一方、空気感染では、飛沫の水分が蒸発して生じた微細な"飛沫核"に含まれる病原体が空気にのって遠くまで運ばれる。病室、教室、刑務所、飛行機といった人が密集する密室がもっとも高リスクとなる。空気感染が成立するためには、@病原体が乾燥状態に強いこと、A少量の病原体の吸入で感染が成立する強い感染力の両者が必須条件となる。この条件をクリアする病原体は、結核菌、水疱瘡(水痘)ウイルス、はしか(麻疹)ウイルスの3つだけである。結核は診断が難しいために、排菌者に気づかれないことが少なくない。水痘と麻疹は発症前にウイルスを排出する時期がある点は感染予防を困難にしている。結核の集団感染予防には、排菌患者にはガーゼマスク(飛沫を付着・除去する)をつけてもらう一方、医療者には空気感染防止用のN95マスク(飛沫核を通さないために、微粒子の通過を遮る特殊マスクが必要)を装着することが原則である。

 輸血、血液製剤の輸液や針刺し事故で感染が生じる血液媒介ウイルスとしては、B型、C型肝炎ウイルス(富家氏のご主人は輸血によるC型肝炎から肝硬変にいたったので、彼は院内感染を二度も受けたことになる)とエイズウイルス(HIV)が知られている。

 あまり教科書的だとわかりにくいので、具体的な状況を示してもう少し説明しよう。

1. 小児白血病病棟では子供(兄弟)の面会は禁止である。どうしてか。
 免疫能の落ちた白血病患者(とくに化学療法や骨髄移植後)では、健常者では軽くすむ病原体による感染が致死的となりうる。とくに恐れられているのが水痘ウイルスである。水痘ウイルスは空気感染をきたすため、発症前の小児が病室に入って咳やくしゃみをするだけで、致死的感染症をひきおこす場合がある。「水疱瘡ウイルスは白血病の敵だ!」

2. 医療者や医学生はインフルエンザワクチンをうつべきである。どうしてか。
 インフルエンザによる死亡例の大部分は小児と高齢者である。これら高リスクグループにはインフルエンザワクチンの接種が奨励されている。医療者や医学生(とくに高学年)は患者と密接に接触する。もしこれらのケア提供者がインフルエンザに罹りながら診療していたら、高齢の患者は致死的なインフルエンザ肺炎をきたすかもしれない。病院内にしばしば出入りするMR諸氏もインフルエンザウイルスとの接触機会が少なくなかろう。冬の始まる前には積極的にワクチン接種を受けて、患者に優しい病院に協力してほしい。

3. ベイスン式(洗面器式)の手指消毒は危険である。どうしてか。
 以前は、病室の入口に消毒剤を入れた洗面器(ベイスン)がおかれていた。これは、大変危険な対策とみなされている。なぜか。緑膿菌という水の中ならどこにでもみつかる細菌は、たいへんしぶとくて、消毒剤の中でも増殖することが知られているためである。緑膿菌は抗生剤が効きにくく、免疫不全の患者ややけど患者に感染すると致死的となる。ベイスン式消毒は、緑膿菌を手にまぶしていることに等しいのだ!同じ理由から、皮膚消毒に頻用される酒精綿(70%エタノールを浸した綿花)についても、アルコールのつぎ足し使用は禁止である。ちなみに、手洗いのあとは使い捨てペーパータオルで拭くことを励行したい。濡れた布タオルやハンカチでは、容易に細菌が増殖する。雑巾のあのいやなにおいは緑膿菌のにおいなのである。

4. ICU(集中治療室)や白血病病棟では医療者がマスクをする必要は少ない。どうしてか。
 医療者がマスクをする必要があるのは、手術など、飛沫内の病原体が患者に感染症をひきおこす、あるいは吸入した病原体から医療者が感染するおそれのある場合である。ICUや白血病病棟にはたしかに、重症患者が収容されている。ではこれら免疫能の低下した患者は医療者のつばきから日和見感染症を生じるだろうか。答えはNoだ。その理由を説明しよう。
 感染症は、病原体の由来によって内因性感染vs.外因性感染に大別される。内因性感染症は本来その人が保有している病原体(常在菌や潜在性ウイルス)による感染症で、いわゆる日和見感染症の多くはこの様式で生じる。一方、外因性感染症は体外からもたらされる病原体による感染症であり、上に述べたMRSA、結核菌、肝炎ウイルス、水痘ウイルス、インフルエンザウイルスなどが代表例である。緑膿菌は消化管に常在するため、外因性感染と同時に内因性感染もひきおこす。いったん咽頭粘膜に定着したMRSAを誤嚥して生じるMRSA肺炎は内因性感染とみなすこともできる。

 さて、医療者のつばきには外因性感染を生じうる病原体が潜んでいるだろうか。いや、インフルエンザなどの呼吸器感染症がない限り、患者自身がもつ口腔内常在菌と何ら変わるところはない。口腔内常在菌が飛沫感染で全身感染を生じることはありえない。したがって、マスクは無用なのである。ICUや病棟でマスクをする習慣のない欧州の病院でよくいわれることは、患者の立場からみてもまったく正しい。"重症の患者さんにとって、何より大切なのは医療者の笑顔である!"マスクをすることで、せっかくの美人を覆い隠す必要はないし、しゃべっている言葉も聞きとりにくいだろう。患者さんの心理状態も圧迫されたものとなりやすいに違いない。

5. 病室での加湿器の使用や切り花を飾ることは避けるべきである。どうしてか。
 逆に、加湿器や切り花は、外因性感染をきたすおそれのある危険物とみなされるべきである。しばらく前に、慶応大学病院の新生児病棟で空調を介したレジオネラの院内感染が発生し問題となった。冷却水に巣くうレジオネラという細菌によって致死性肺炎を生じたのだ。レジオネラ肺炎は老人にも覆い。多くは温泉で感染する。24時間風呂を含めて、水(とくに温水)にはレジオネラが増殖しやすい。水を交換しない加湿器には大量のレジオネラが増殖している可能性がある。それを霧状に噴霧するのだから、肺炎のリスクが高まる。

 切り花にはカビが生える。黒カビに属すアスペルギルスの胞子を吸入すると外因性のアスペルギルス肺炎をきたしうる。精神的安静のためにどうしても花が必要と思われる場合は、患者の枕元でなく、1 m以上離れた病室の反対側の目の高さにおくことが望ましい。その大きさから、胞子は飛沫に準じてとりあつかわれるべきであろう。

6. 床や便座を消毒する必要はない。どうしてか。
 感染防止対策を効率的に実践するにあたって、リスクに応じた対策を行うことが肝要である。接触感染に関する感染リスクとそれに応じた消毒レベルを下表にまとめた。

 手術室やICUといった清潔域でも、床や壁に微生物がいるのは差し支えない。床や壁に直接触ることはあり得ないからだ。そもそも、床を無菌化することなど不可能である。床の微生物学的汚染状況の調査や床の消毒といった行為は無駄であり、消毒剤を床などの環境に噴霧することは厳禁である。病室、手術室や解剖室のホルマリン薫蒸も無用である。何より、室内の空気清浄度を保つ(空中浮遊微粒子数を少なく保つ)点が重要である。送気口の高性能HEPAフィルターの定期的な保守・点検が求められる。当然ながら、無菌操作の前に埃のたつリネン交換を行ってはならない。

 トイレの便座に微生物が存在していても、健常皮膚には感染を生じない。同様に、ドアノブ、手摺り、リハビリ器具、介護用品や車椅子も原則として消毒無用である。頻繁に手が接触する部位を洗剤で拭きとることが原則となる。ただし、便座に病原性大腸菌O-157が付着した、あるいはそのおそれがある場合は、手指との接触にひき続く経口感染を生じる可能性があるため、同部のアルコール消毒と十分な乾燥が求められる。

表.感染リスクと消毒のレベル

リスク
内容
消毒のレベル
高リスク 直接体内に接触・導入される器具 滅菌 手術器具、注射針、
ドレッシング剤
中間リスク 粘膜に接する器具、易感染者用の器具
体液・病原体に汚染された器具
消毒 内視鏡、挿管チューブ、NGチューブ
低リスク 健常皮膚に接するもの 洗浄・乾燥 トイレ便座、洗面台、
ドアノブ、リネン類
最小リスク 皮膚に直接触れないもの 清掃 床、壁、天井

7.欧米の病院の大便器はすべからく壁排水式である(配水管が壁に接続されるため、床部分が空間になっている)。どうしてか。

  消毒とは、有害微生物の感染性をなくすか、発病レベル以下に菌量を減らすことをさす。無菌状態をつくる滅菌とは区別されねばならない。表面が平滑な器具類や洗濯可能なリネン類では、よく洗浄することで付着菌が相当程度洗い流される。一方、乾燥することの消毒効果もよく知られている。乾燥状態でも生き残る病原体は、結核菌、MRSA、芽胞菌などに限定される。大腸菌、緑膿菌、食中毒菌など、多くの細菌は乾燥により死滅する。したがって、十分な洗浄と乾燥は高い消毒効果をもたらす。器具やリネンの消毒には、この効果がうまく利用されるべきだ。

 環境の清潔度を高めるためには、逆に、洗浄や清掃のしやすい構造が求められる。大便器の場合を考えてみよう。欧米の病院や福祉施設の大便器は例外なく壁排水式で、便器が壁にとりつけられている。この構造だと、便器と床の間があいていて、床を清掃しやすい(清拭後に乾燥しやすい)。わが国に圧倒的に多い床排水式の洋式トイレでは、床を清潔に保ちにくいことは自明である。わが国でも、一流ホテルやコンサートホールでは壁排水式大便器が普及している。トイレを清潔に保つことが使命なのは、これら一流施設だけではないはずなのだが―。

8.大人用の紙おむつの使用をやめた大学病院がある。どうしてか。
 高齢化社会では、大人用の紙おむつが大量に使用される。ずっしりと重い使用済みの紙おむつは、家庭からでれば一般ごみだが医療施設からでる場合は感染性廃棄物としてとり扱われることが多い。病院の紙おむつの処理をひきうけてくれない市町村が多いためだ。だから、病院は高い料金を支払って感染性廃棄物業者に処理をまかせざるを得ない。紙おむつはいわゆる感染性廃棄物総量の約半分を占めている。そもそも、紙おむつは本当に感染性廃棄物なのだろうか。

 一般に、体液、血液、滲出液が付着した医療ごみは、現行法(廃棄物処理法)の下では、「感染性廃棄物」とみなされ、焼却処分を中心とする滅菌処理が求められている。しかし、環境に悪影響を与えるこうした処理が、本当にすべての感染性廃棄物に対して必要なのだろうか。医療ごみから感染が生じる可能性はどの程度なのか、実はきちんとしたデータはない。少なくとも、ごみの中でMRSAや肝炎ウイルスが増殖することはありえない。

 神奈川県の北里大学病院では大人用紙おむつを廃し、くりかえし洗濯でき、しかも装着感のよい布おむつを導入している。80℃の業務用洗濯機を備えたリネン室の充実が前提条件となっている。経費削減と環境への優しさを両立させたすばらしい実践である。
血液や体液で汚染されたシーツや枕カバーの場合も、熱による消毒法が望まれる。通常の細菌に対する熱消毒は、65℃10分、70℃2分、80℃1分、90℃1秒以上が基準である。上述したように、加熱式洗濯機を用いた方法が最適である。

結語
 以上、具体例を示しつつ、院内感染防止のあるべき姿を論じてみた。くりかえすが、「正しい知識」がなければ倫理問題を論じることはできないし、その資格もない。では、病院の医療者がみな正しい知識をもっているかというと、残念ながらそうでない場合が少なくない。わが国の病院におけるMRSA感染症の実態をみるにつけ、そして、かの富家氏が1987年に経験した悲しい体験がいまだに繰り返されていることを目の当たりにするにつけ、ハンバーガーチェーンのマクドナルド(O-157感染症の防止目的に徹底した手洗いが実践されている)のトレイ敷きに印刷されたつぎのようなうたい文句が象徴的に感じられてならない。「正しい手洗いを教えてくれるのは、お母さんと小学校とマクドナルドくらいかも知れない」。"知識という名のワクチン"の接種の重要性をあらためて強調したい。

参考文献:
1)
富家恵海子.「院内感染」、「院内感染ふたたび」、「院内感染のゆくえ」3部作.河出文庫、1997.
2)
堤寛.病院でもらう病気で死ぬな.現役医師が問う、日本病院の非常識度.角川oneテーマ21、A-11、2001 .
3)
医療の安全に関する研究会安全教育分科会(編).ユニバーサルプレコーション実践マニュアル.新しい感染予防対策.南江堂、1998.
4)
ICHG研究会(編).院内感染予防対策のための滅菌・消毒・洗浄ハンドブック.Mediculture、1999.

 

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