《イデアフォー通信第66号-2008年4月掲載》
堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D.
藤田保健衛生大学医学部第一病理学
教授、病理専門医
e-mai:tsutsumi@fujita-hu.ac.jp
2008年4月より、「病理診断科」および「臨床検査科」の標榜が可能となった。内科、外科、小児科などと並ぶ臨床科としての新たなスタートである。
標榜科は、医療法において"患者に対する広告規定"として定義されている。つまり、「病理診断科」と「臨床検査科」は、患者が訪れる臨床科へと変貌しなければならない。病理診断が、これまでの認識されてきたような検査技師法のもとでの"検査の一部"から、医療法のもとでの医師による"診断行為"へと、その位置づけ・法解釈が正式な形で変更されたからだ。
臨床医の陰に隠れるように黙々と働いていた病理医や検査医が、患者に顔のみえるように、大変身しなければならなくなったともいえよう。ここでは、(社)日本病理学会の30年にわたる念願だった「病理診断科」標榜が私たち病理医に与えてくれる、これまでにない大きな可能性と課題を述べてみたい。そのうえで、私のこれまでの経験から得た感触と新しい病理医の役割に関する私見を披露したい。
1.診療科としての「病理診断科」の業務内容の明確化
@ 病理医による病理診断の説明
患者が訪れる診療科としてなすべきは、病理診断(病理解剖、組織診断、細胞診断)の内容を、希望する患者に直接説明する診療行為である。このニーズはきわめて高い。プロフェッショナルな病理医として、自ら(自施設)が行った医療行為を患者に説明するのはむしろ当然である。
病理診断の説明を希望する、あるいは必要とする患者に対して、診断内容(ファーストオピニオン)をわかりやすく説明することは、専門家としての、そして臨床医としての病理専門医に必須の役目と考えられる。この診療内容は、保険診療のもとで、診療録に記載されねばならない。患者が納得する医療へ大きく貢献するにとどまらず、標本の見直しや臨床医との打ち合わせの過程で、病理診断の質そのものが高まることが予想される。
可能な施設において、可能な病理医が、可能なときに患者に対する病理診断の説明ができる体制をつくることが第一歩となる。完全予約式の「病理外来」を週1回程度開くのが手始めとして妥当な線だろう。原則として、ファーストオピニオンの説明となるが、必要に応じて、患者が持参した病理標本に対して、病理診断に関するセカンドオピニオンを受けることもあるだろう。ただし、病理医のもつ専門性によって、制約が生じる可能性がある。
A 「病理診断科」開業の形
標榜科として、病理診断科の開業が可能となる。その業務内容をシミュレートしよう。
a) |
地域医療を担うべき開業病理医の主たる仕事は病理標本の顕微鏡診断である。
ただし、従来のような登録衛生検査所の"下請け"でなく、自ら地域の病理検体を集め、必要に応じて、登録衛生検査所に標本作製を依頼する(下請けに出す)形をとることが要請される。 |
b) |
契約病院・施設の手術材料の「切り出し(顕微鏡用標本のサンプリング)」を行う。 |
c) |
契約病院・施設からの術中迅速診断を受ける。 |
d) |
クリニック(「病理外来」)で、要望のある患者に直接診断内容(ファーストオピニオンおよびセカンドオピニオン)を説明する。 |
e) |
インターネット回線を利用した遠隔病理診断(テレパソロジー)を行う。 |
f) |
病理解剖を行う。契約病院・病理診断受託施設ないし市民(遺族)からの依頼を受けて、病理解剖を実施する(診療報酬外)。 |
B 診療報酬の改定に向けた努力
2008年4月の診療報酬改定で、第3部「病理学的検査」から病理診断(第13部)へ独立するとともに、病理標本作製料(880点:ホスピタルフィー)と病理診断料(410点:ドクターズフィー)が明確に分離された。
いいかえれば、病理診断科の標榜に必須の改訂となった。
今後の目標としては、
a) |
病理診断料の査定と病理診断科標榜(病理専門医資格)の連動(病理診断に関する法的な専門性の確立) |
b) |
手術材料の切り出し対する診療報酬化などに加えて |
c) |
患者への病理診断の説明に対する診療報酬化が上位にあげられる。患者は、保険のきく形で病理医からの説明を受けることを切望するだろう。 |
2.病理検体の流れの一本化(登録衛生検査所の下請けとしての病理診断からの脱却)
病理診断科の主業務である病理診断の7割が登録衛生検査所経由で行われ、そのために価格ダンピングによる検査差益が生じていた、これまでのわが国の実態を打破する必要がある。
従来、臨床検査技師法のもとで行われてきた病理検査が、医療法のもとで行われる「病理診断」に変身するため、ごく近い将来、登録衛生検査所で病理診断を行うことはできなくなるだろう(混乱を避ける意味で、従来方式は当分の間容認される)。
「病理診断科」の開業医、あるいは「院外診断標本(教室プローベ)」として大学等勤務の病理専門医によって診断される病理検体は、登録衛生検査所の"下請け"の形ではなく、自ら病理検体を集め、必要に応じて、登録衛生検査所に標本作製を依頼する(検査所による検体の集荷代行は可)。
つまり、「患者→病院(診療所)→病理診断科→登録衛生検査所」の流れを、絶対的な原則としたい。形式上、病理医が初診料をとり、"レセプト"を請求する流れとなる。つまり、他の臨床科から病理診断科へ診察が依頼される(病理診断依頼書は、他科依頼書と同等となる)。通常の診療と異なるのは、患者の代わりに検体が動く点で、病理医のいない施設では、初診料や診断料の支払いを臨床医が代行することになる。
結果として、
a) 病理診断における差益の根絶(保険診療に限った病理診断業務)とともに、
b) 病理診断の質的向上がもたらされるだろう。
3.私の提案:広域地域医療の担い手としての「病理診断科」開業の形
病理診断は最終診断であり、特にがん患者にとっては治療方針に決定的な内容が満載されている。病理診断の内容を患者自身が「納得」することのメリットは大きい。納得の医療は医療の質の向上に直結するとともに、信頼に基づく良好な医師患者関係の構築に貢献するだろう。説明するというプレッシャーや再鏡検する行為自体が病理診断の質の向上につながる副産物も期待できる。
ちなみに、患者が病理診断の内容、すなわち顕微鏡所見や病態生理に対する考え方、を「理解」することはほとんど不可能だろう。実は、病理診断結果を説明する臨床医の多くも病理診断の中身を理解しているとはいえないのが実際である。それほど病理診断の専門性(業務独占性)は高いのである。しかし、病理医が丁寧に病理診断の意味や治療方針との関連性を説明することで、専門外の臨床医では不可能な患者の深い「納得」を得ることが可能となると私は信じる。
従来の大手衛生検査所は、全国を守備範囲とする広域サービスを実施してきた。これでは、患者が病理診断科を自分の足で受診することはむずかしい。患者が受診可能な地理的位置に病理診断科開業医がいれば、必要とする患者は病理医を訪れるだろう。つまり、地域医療を担う病理診断科開業医(が運営する病理診断センター)のニーズはきわめて高い。この場合、一市町村などに限定しないより広域の地域設定が想定される。
この新しい業務形態には、これまでにない以下の特徴・機能が期待される。
a)
|
病理開業医が経営・運用する病理診断センター(病理標本作製機能を付随する)を想定する。ここでは、広域の地域からの病理検体の病理診断を引き受ける形となる。複数の病理医、そこで研修する若手病理医、臨床検査技師、事務員が必要である。 |
b)
|
地域医療を担うべき開業病理医の主たる仕事は病理標本の顕微鏡診断である。レセプト代行(初診料、病理診断料)をいかに臨床医と契約するかなど、運用上の課題は多い。 |
c)
|
外来クリニック(「病理外来」)で、病理診断のファーストオピニオン、セカンドオピニオンを受け、要望のある患者に直接、病理診断の内容を説明する。 |
d)
|
一般開業医や市中病院を対象とした病理診断の解説、写真撮影・特殊染色サービスを行う。患者や医療者からのインターネット相談や遠隔病理診断(テレパソロジー)をどう運用するかはこれからの課題である。 |
e)
|
病理解剖サービスを提供する。契約病院・施設あるいは市民(遺族)からの依頼を受けて病理解剖を実施する。剖検室は、複数の病院と契約して、剖検室を借用する。費用は診療報酬外となる。医療施設からの依頼の場合は病院が費用負担する。遺族からの依頼の場合、たとえば診療関連死例では、国や自治体の予算で補填される場合もありうる。法医医師と連携して、いわゆる不審死の剖検を受託する可能性もある。 |
f)
|
病理診断に関する学術的側面を検討し、若手病理医、臨床医(内視鏡医、外科医、皮膚科医など)、細胞検査士、病理検査技師の育成・教育を重要な課題とする。 |
g)
|
他地域の病理診断センターと連携して、病理診断のコンサルテーション、染色の質の管理、症例集積、症例検討会の開催等を行い、病理診断の質の向上をめざす。 |
4.病理医の新しい役割:私の体験
病理医は病気の診断に関するプロである。さまざまな分野の疾患に共通する特徴や病変の成り立ち機序に精通している。しかも、患者を直接診察することはない。肉眼所見や顕微鏡所見を通じて、客観的に(第三者的に、クールに)病態を判断し、臨床医にアドバイスを与えるのが重要な業務な業務なのである。
つまり、多くの臨床医と業務上の接点があり、病理診断の専門性の高さと相まって、臨床医から頼られる存在となっている(はずである)。病理医がDoctors'
doctorと称されるゆえんである。
このような特徴は、従来、医師仲間の間ではよく認識され、活用されてきた。病理診断科が標榜科となるこれからの時代は、患者に顔のみえる病理医は、自分たちのもつ特徴を患者のためにも振り向けねばならない。患者もこの点をよく理解して、病理医をもっともっとうまく利用してほしい。
私はこれまで、患者会活動支援などを通じて多くのがん患者(とくに乳がん患者)と交流させていただいてきた。とくに、藤田保健衛生大学病院を拠点とする乳がん患者会「わかば会」と全国をインターネットでつなぐ乳がん患者活動である「teddy」の方たちから多くのことを学ばせていただいた。さらに、イデアフォー、ソレイユ、ブーゲンビリアや患者の権利オンブズマン東京のメンバーにも何かとお世話になってきた。
私は、こうした活動の中で知り合った、あるいは紹介された患者さんや、本講座のホームページをみて連絡いただいた患者さんからのセカンドオピニオンを数多く引き受けてきた(無料のボランティア活動として)。
判断に迷う難解症例、最初の病理診断や病理学的判断が不適切と思われる症例、病理医の診断・判断と臨床医の解釈が食い違った症例など、いろいろな問題点も経験させていただいた。
いずれの場合も、客観的な立場で冷静な意見を述べることによって、患者さんは納得していただけたと私は信じる。
そうした中、診断のしっぱなし・意見の言いっぱなしではすまされない事例にも遭遇した。病態がとても厳しく、治療に展望が開けないような患者さんの場合である。心に残る方の場合を少し紹介したい。
患者さんは30代の女性。後腹膜由来の低悪性度腫瘍(内分泌系腫瘍のパラガングリオーマ)で、局所再発と臓器転移を生じていた。繰り返す手術による癒着性イレウスによる腹痛にも悩まされていた。一般に、低悪性度の腫瘍は再発しづらいが、いったん再発すると治療反応性が乏しい。再手術ができず、放射線や抗癌剤は効かない。徐々に悪化するのを待つ以外に方法がないような悲劇的病態といえた。
最初にセカンドオピニオンを受けたときにこの点を本人にそのまま伝えた。診断書に加えて、長い(慰めにはほど遠い)手紙をつけて。その後、入退院を繰り返す2年間にわたって、親密なe-mailの交流があった。2007年7月に彼女が亡くなるまでに4回ほど、本人と直接面談・接触したし、ご家族とも連絡をとった。音楽のプレゼントもさせていただいた(私は下手の横好きのオーボエ吹き)。
むろん、大病院の主治医・院長や地元のかかりつけ医とも連絡をとらせてもらった。私の手元に残るメールには、主治医や家族に言えない悩みや愚痴が満載である。もらったメールは300通あまり、出したメールも200通あった。体の診察をしない病気の専門家に聞きたいことを聞き、悩みを打ち明ける。そうした受け皿になりやすい医療者の1つが病理医である。そんな風に思えるようになった。
彼女は、病理医である私を頼り、信頼してくれた。そのことがうれしかったし、病理医だからできることだと感じた。この過程はあくまで友人としての交流であり、経済的には全く成立しえなかったが、ひとりの人間として、医師として、患者である彼女の心の支えになることができたと信じる。こうした「こころの支え役」を担う医療者は、これまでの医療体制の中では少なかったように感じる。しかも、このニーズはとても大きいと思われる。
私と彼女の交流は医療の中に位置づけられるものではなかった。だからこそ可能だったことは事実だが、このような支えを何とか広めてゆくことはできないだろうか。病理医はその役割に適していると私は強く思う。
はてさて、みなさまの意見やいかに。
page up ↑
|