病院感染対策に一言: 「病院のにおい」


藤田保健衛生大学医学部第一病理学
堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D.


 米国のロッキーマウンテンを訪れたときおやっと思った。山に木がない!地図の山岳地帯が茶色で表現される理由が納得された。欧米の病院を訪ねるとおやっと思うことがある。病院のにおいがしない!一方、ホルマリン漬けの病理医である著者と電車の中でたまたま居合わせた高校生たちに見抜かれたことがある。「病院のにおいがしない?」

 日本独特の病院のにおい。それは消毒剤のにおいだ。肝炎病棟、手術室、救命救急室の裏で、若い看護婦たちが毎日黙々と携わっている仕事。それが、グルタラール製剤(ステリハイド、サイデックス)による医療器具の一次消毒である。グルタラールは消毒剤の中でもっとも強力な消毒効果をもつが、揮発したアルデヒドガスは粘膜をいたく刺激する。一体、どれくらいの看護婦が涙と鼻水を流しているだろうか。それだけでない。30 Lといった単位で使用されるグルタラールは決して安い消毒薬ではない。たとえ中和剤で中和する場合でも、流れて行くのは環境の中である。電子顕微鏡検査の固定液として用いられる数mLのグルタラールなどかわいいものだ。大量に使い捨てされるグルタラールは、つまり、健康にも医療経済にも環境にも優しくないといえる。

 英国の感染管理看護士と話すチャンスがあった。この3拍子そろい過ぎた話をすると、即座に"unbelievable!"と反応されてしまった。欧米の病院で病院のにおいがしないのは、こうした「日本の常識」が「世界の非常識」であるがためだ。欧米では、グルタラールは内視鏡消毒専用であり(米国では過酢酸への切り替えが進んでいる)、病棟や手術室で使用したメスやはさみなどは簡単に洗浄した後に中央滅菌材料室へ運ばれて高圧蒸気滅菌(オートクレーブ)されるのが常識である。消毒前の医療機材を安全に運搬でき、患者・家族用のルートと交差しないエレベータや通路が病院の一般的な図面なのだ。わが国の病院では、たとえ初期の設計図にあったとしても、最終段階の予算削減策の中で真っ先に消えてゆくのがこの裏ルートなのではなかろうか。そうなると、致し方なく消毒すべきだろうか。

 2000年8月6日の朝日新聞日曜版に掲載された「病院臭.病棟での消毒薬乱用が原因?」と題する記事で、取材執筆担当の田辺功氏は「有害無益」な一次消毒を廃止して年間数百万円の経費削減につなげた病院の話を引用している。古くからの因習を打破するのはなかなか難しいが、今やボーダーレスの時代である。国際標準で判断を下すべきでしょうね。
page up↑