医療における病理医の役割 〜穴埋め病理医の独り言〜

堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D. 
藤田保健衛生大学医学部第一病理学
 
e-mai:tsutsumi@fujita-hu.ac.jp


自己紹介
 自称、「穴埋め病理医」(他の人がやっていない領域に首を突っ込むのが特徴)の独り言を聞いてください。まず、自己紹介です。私の本来業務は、患者さんの治療に直結する病理診断です。プロの病理医として、病理診断の質の向上に向けた技術論を啓発し、感染症の病理診断の重要性を訴え続けてきています。私の興味は、さらに卒前・卒後の医学教育、院内感染・業務感染、医療廃棄物適正処理、医療リスクマネジメントなどにも向けられているのが「穴埋め的」なゆえんです。さらに、(社)日本病理学会の理事として、病理関係の情報を患者さん(社会)に向けてわかりやすく発信することにも努力を重ねてきています。よろしければ、上のホームページをご覧ください。

病理医vs.病理学者
 病理医と病理学者は、英語ではともにpathologistだ。日本語の病理医は病理診断を業とする病院で働く医者のイメージがあるのに対して、病理学者は病気の学問である病理学pathology (pathos + logos:病気+学問の合成語)を追究する研究者のニュアンスがある。

 この二重性格、アンビバレンスが私たちpathologistの立場を曖昧にすると同時に、甘えの構造を後押ししている。文部科学省配下では病理学は基礎医学に分類され、患者さんのための病理診断は本業ではないことになる。自分は基礎医学者なので、診断はこの程度でしかたない、と言い訳しながら暮らしている―。事実、普段はねずみばかり触っている「研究者」が、病理診断にも"ついでに"携わっている場合があるのだ。一方、厚生労働省の配下では、病理診断は「病理検査」の名のもとに、検査の一部とみなされ、欧米では、いや世界で常識の「病理科」が認知されていない。病理医はまるで機械の一部のようにみなされている―?病理診断は一応、医師免許をもっていないと行ってはいけない「医行為」に含まれてはいるが、病理診断部門が医療法の定める標榜科でないがために、「病理医」によってたいせつな病理診断がなされていることが一般の人々が知られていない。病理診断が医行為と認知されたのは、高々十数年前(平成元年)のこと。当時まだ若かった小生がこれはおかしい!などとほざいたのがきっかけだった(あまりにも淋しすぎる!)。臨床医学は診断と治療からなっている。診断を本業とする病理部門が、診療部門に認知されていない例外中の例外の国。それが日本。

病理医の確保が難しい
 病理診断には、生検や手術で得られる標本の顕微鏡診断(組織診)、術中迅速診断(手術中に顕微鏡診断をして、手術方針を決定する)、細胞診断、そして病理解剖が含まれる。最近では、治療方針を左右するホルモン受容体や癌遺伝子産物HER2の免疫染色など、中身の濃い診断が強くつよく要請されている。詳しくは、拙著「病理医があかすタチのいいがん悪いがん.最新診断治療ガイド」(双葉社、2001.4)をぜひお読みください。ただし、すでに廃刊となっているので、読みたい方は直接私まで連絡ください。

 大学では基礎医学、病院では検査。ああ、これでは人材確保もままならない。現在、「病理研修医」のいる大学病院は数えるほど。基礎医学たる大学の病理学講座の人材は、大学院生としてかろうじて確保されているのが現状に近い。大学院生の目標は、よき病理診断医ではなく、あくまで優れた研究者となることだ。実際は、大学院生でもしっかりとした病理診断を身につけている人材は多いし、むろんそうでなければ困る。しかし、このシステムは本質的に矛盾の塊だ。なお、来年度から卒後研修2年が必修化されるため、病理学講座へ直接大学院生として入局することはまずなくなる。人材確保がますます難しくなる危惧は目の前に迫っている。

 ここには大学医学部のあり方に関する根本的な問題が横たわっている!そのからくりを披露しよう。

大学院大学化の矛盾
 旧帝国大学を中心とするいわゆる「一流国立大学」では、大学院大学化が進められている。「COE (center of excellence)」がよくマスコミで話題になるが、わかりやすくいえば、トップ30番以内に入り損ねると研究費がとりにくくなる大学差別化の仕組みだ。こうして重点化された旧帝大医学部では、文部科学省の強力な指導のもと、一学年百数十名という数の大学院生の大量分捕り合戦が展開されている(医学部の学生数百名の倍近く)。文部科学省の目標は、あくまで研究者と教育者の育成であり、彼らがよき臨床医となるかどうかなど眼中にない。そもそも、「臨床系大学院」という存在そのものが矛盾を内包している。医学部は医科学者も育成すべきだが、やはりよき「お医者さん」を養成する場であるべきだ。医学部が文部科学省の"もちもの"であることに問題があるといわざるを得ない。厚生労働省がいくら良医の育成、家庭医の普及、卒後研修の必修化を叫んでも、医学部卒業間もない多くの人材が文部科学省に体よく吸いとられてしまっているのが現状だ。一流の医学研究をめざす大学院大学では、本来、医師の人材育成機関たる医学部を切り離すのが筋だろう。良医育成をめざす人材は、厚生労働省配下の教育機関で徹底した教育をすべきで、そこでの評価は研究業績ではなく、いかに患者さんのために質の高い医療をしたかをポイントにすべきである。大学を機能分担すれば、先進的な医学研究と質の高い医療が両立する可能性が高い。今は、すべての大学がミニ東大化されようとしている―。
家庭医・かかりつけ医を増やそうとするなら、そうした方が得だ、有利だというシステムを構築しないと、机上の空論となってしまうのは火をみるより明らかだ。米国では、家庭医をめざせば職が安定し、生活にゆとりのあるような政策誘導が行われているために、多くの卒業生が家庭医(一般医)になろうとすると聞く。わが国では、学費を支払って大学院に進んで、欧米に類をみない「学位(医学博士号)」をとった方が将来とも有利。学閥至上主義のわが国では、大学の系列を離れると不利になる。家庭医をめざそうとすると、大学や大病院にポストはない。開業医となるには資金がいるし、訴訟になるとすべての責任をとらざるを得なくなるという大きなリスクを抱えることになる(大病院では、ある程度病院が責任を肩代わりしてくれる)。

 文部科学省と厚生労働省による医学部のこうした二重支配は、世界に類をみない「非効率」、筋が通らない制度だと思う。医療をよくしようと思ったら、まず医学部改革が基本。文部科学省で医学教育した成果を国家試験するのが厚生労働省である点に矛盾を感じない人が多すぎる。こんな妙ちくりんな制度をもっている国は日本以外にはないのだ!"文部科学省廃止論"については、拙著「病院でもらう病気で死ぬな.現役医師が問う、日本の病院の非常識度」(角川新書、2001.8)を読んでほしい。こちらは、幸いまだ廃刊にはなっていません。

(社)日本病理学会の役割
 と、愚痴ってみたが、いくら問題提起しても、患者さんのために質の高い医療を提供する病理医の役割が避けられるわけではない。病理診断は、胃癌、大腸癌、肺癌、乳癌をはじめとする癌の最終診断の役目を果たしている。いや、癌だけではない。皮膚疾患でも、腎臓病でも、感染症でも事情は変わらない。標本の向こう側に患者さんが待っていることを意識した病理診断をめざして、日々努力すること。それが私たち病理医の何よりの役割であることに疑問の余地はない。
(社)日本病理学会では、病理学のアイデンティティーが議論されてきている。病理医でなければできないこと。それは、病理診断をおいてない点については、大筋の同意が得られている。研究にもはや病理学独特の方法論はないし、病理学者単独でできる研究は限られていることも事実だ。

  92年の長い歴史をもつ日本病理学会の、いや、病理学自体の生き残りをかけて、病理診断の質の向上、患者さんのために働く病理診断医の育成、情報開示と個人情報の保護、病理診断に関するセカンドオピニオンの充実、医学教育改革といった方向に、ギアチェンジ(ベクトルの修正)が行われつつある。さまざまな実践に関しては、学会のホームページにアクセスしていただきたい(http://jsp.umin.ac.jp/)。放射線診断、検査医学、救命救急などとともに、病理診断は診療科の壁を越えた横断的な役割をもつべき部門である。患者さんを直接診ないため、客観的な(冷静な)判断ができるのが大きな利点だ。他の部門の失敗例をみることも多く、医療の中で裁判官的役割を演じる場面も少なくない。病理医一人ひとりがもっと社会性を強く認識して、自らの果たすべき役割をブラッシュアップしなければならないし、私自身も微力ながら努力したい。広く患者さん(国民)の応援を得るためには、患者さんに顔のみえる病理医に変身する努力が求められよう。

病理医の実状
 (社)日本病理学会が認定する病理専門医は1800人あまり。半数以上は私のように大学に所属している。毎年の新病理専門医は80人弱。全医師の1%以下で、とにかく、絶対数が不足している。300床以上の総合病院で常勤病理医がいるのは半分程度に過ぎないのが実状だ。しかも、「ひとり病理医」が多く、休暇もままならない。

 病理診断の正確度は、病理医の研修度や経験の深さのみならず、臨床医との良好なコミュニケーションが重要な要素になる。病理医が常勤すれば、この要素がクリアされ、術中迅速診断をはじめとする病理診断がやりやすくなる。病理医が常勤するかどうかは、病院入口の医師一覧でわかるはずだが、病理科が標榜(外部広告)できないため、病理医が所属する科名は、病理科(院内表示は可)、病理診断科、検査科、臨床検査科、研究検査科、病院病理部、中央検査部などさまざまだ。2003年3月に広告規制が緩和され、病理専門医の広告が可能となった。今後、以下に述べる理由で、患者さんにわかりやすい形での表示が必要なことに論を待たない。

患者さんのための病理診断
 病理診断は、臨床医でなく病理医のしごとであることでさえも患者さんにはわかりにくい。病理所見の詳細は、病理医でなければわからないことが多い(担当の臨床医はわからないのが普通)。だから、病理診断に関する細かい説明を聞きたい場合は、病理医から直接聞くことをお奨めする。ただし、臨床経過や治療の詳細を知らない病理医と患者本人だけが直接会うのは誤解のリスクが高いし、担当医と患者さんの信頼関係を損なう可能性があるので、担当医がその場に立ち会うことが大原則である。

 病理診断は、プレパラートと称される顕微鏡用ガラス標本を顕微鏡でみて行われる。もちろん、肉眼診断やレントゲン・内視鏡といった画像診断との併用も重要なのだが、もっとも肝腎な顕微鏡標本は長期間の保存が可能で、いつでも新たにつくれること、簡単に郵送・あるいは画像伝送して別の専門医の第三者評価を受けられる点が大きなポイントである。顕微鏡標本は、臨床検査技師によって数ミクロンの厚さに薄く切られ、染色される。つまり、検査室の倉庫に保存された検体は、いつでも再検査・再チェック可能で、すばらしく客観性を保ってくれる。顕微鏡標本はうそをつかない。

 この客観性はもっともっと利用されるべきだ。もしあなたが自分の病気の診断を確認したいと思ったときは、自分の病理標本を借りてほしい。まず、担当医に相談されたい。病理医に面会することも可能だろう。事情を話せば、きっとあなたの顕微鏡標本が借りられるでしょう。標本枚数が多いこともあるので、病理医に重要な部分を選んでもらわねばならないかもしれない。施設によっては、標本を余分に切ってもらえるだろう。ただし、準備に2〜3日かかるだろうし、実費を要求されるかもしれないが―。

 プレパラートは、郵送すればお望みの病理医からセカンドオピニオンが得られる。この場合、臨床情報と病理診断が書かれた最初の病理診断報告書のコピーがあることが理想である。標本だけでは、診断がつかないことはよくある(それほど、臨床的情報は大切)。知り合いの医師がいれば、その方に紹介してもらうのもいいだろう。思い切って、病院に勤務する病理医に直接電話してみてほしい。思いのほか、簡単にみてもらえるだろう。インターネットで私のような病理医を捜してみるのもいいだろう。保険診療外のサービスになるので、今のところ診断料金はいただきにくく、通常、ボランティア精神で参考意見(つまり、セカンドオピニオン)を述べることになる。

標本の所有権
 病理標本はだれのものか。通常、患者さんから採取された臓器・組織・細胞から、病理標本がつくられる。残りの検体は、固定液に入れた形で一定期間保存され、そののちに廃棄(焼却)される。病院が管理するこうした病理標本は、病院の所有物だろうか?患者さん本人のものか?実は、この点に関する法的根拠はない。解剖例の臓器の所有権に関しては、死体解剖保存法に準拠し、要求があれば直ちに遺族に返却することが求められている。手術材料や生検材料、そして細胞診材料となると、規定している法律は廃棄物処理法のみであり、廃棄に際しては「感染性一般廃棄物」として適正に処理すると定められている。そもそも、臓器・組織・細胞がゴミ扱いでいいかという根本的問題があるうえ、解剖例以外の臓器類が慣用的に取り扱われている点は隠された問題だ。

 たとえ臓器・組織・細胞は本来患者さんのものであるとしても、それを固定・染色・封入した製品(作品)にまで、所有権が及ぶのかどうかは微妙である。これら製品は国家資格を有するプロ(臨床検査技師と医師)の手を介してできあがるし、プロがみてはじめてその価値が発揮される代物である。鉄鉱石を輸出した国や企業が、鉄製品にまで所有権を主張することはないし、その論理は通用しない。

 とはいえ、やはり患者さんの臓器・組織・細胞である。病理診断以外の「目的外使用」(教育、研究、症例報告、精度管理)には、当然ながらインフォームド・コンセントが必要となる。患者さんや遺族にきちんと説明し納得してもらうことが、所有権を論じる以前の前提条件である。現在、ようやくこうした隠された側面に関する自覚がめばえ、病理検体に関する説明書と同意書を準備する施設が増えてきた。私自身は、同意書に臓器・組織・細胞の所有権を病院に委譲(臓器・組織・細胞を寄贈)したうえで、病院が管理および適正廃棄の責任をとる形が望ましいと考えている。いかがでしょうか。

 こうした所有権の問題は、病理検体にとどまらない。血液や尿しかり。DNA検査は毛髪や糞便でも可能である。X線フィルム、CT写真、エコー図、心電図、肉眼写真や顕微鏡写真についても同様の議論が必要だろう。従来、抜去歯牙の所有権が歯科領域で論じられることは金輪際なかったようだ。

日本語だけで学問できる幸せと不幸
 穴埋め病理医らしく、少し脱線させてもらおう。医学教育の視点から一言。
日本人(の医療者)は、医学を(いや学問を)自国語で学習できる幸せと特殊性を意識していないのではなかろうか。息の長い努力が積み重ねられてきたEUの統合は、何も通貨にとどまらない。将来、ほぼすべての資格が共通化される予定である。医師免許も例外ではない。そこでの共通語は英語。あのフランスでさえ、納得したうえで流れを推進している。現実的なことばの壁があるためすぐには広まらないが、スペインの医学部をでて、デンマークで医業をすることが可能となっている。20〜30年後には、多数の言語を理解できる学生が、大学進学に圧倒的に有利となる時代がくるだろう。その前に、医師免許は国際免許となるだろう。

 韓国の医学生は、高学年になるとハングルで勉強しようとしないそうだ。英語でしか勉強しようとしない韓国の医学生と日本語のみで必死に勉強する日本人医学生。国際感覚のズレを危惧するのは私だけではないだろう―。タイ語には学術用語を自国語化できる能力がない。フィリピン、インドやケニアでは国民の共通語は英語だし、教科書もみな英語。英語ができなければ学問そのものができないのが世界の常識なのだ。

 いつまでも自国語だけの学習ですむ状態を継続することは、国を滅ぼす可能性が高い。いったい、日本という国はどのような医師を育成しようとしているのだろうか。とりあえず、医師国家試験の2〜3割程度を英語で出題してはどうだろう。

医療事故をいかに医療の安全に生かすか
 人はエラーをおかす。しかし、エラーを防ぐことはできる。エラーを防ぐポイントは「システム」の整備にあることはいうまでもない。日本はシステムを正さずに、"犯人探しをして、個人のせいにしておしまい"の図式がまかり通ってきた。法律、政令・省令で規制すべき点と制度やしくみの運用で解決すべき点の区別が不得意(?)なのだろう。

 たとえば、院内感染防止対策に専任の感染管理者をおくことの必要性は長く訴え続けてこられたが、大学病院レベルで実現している施設は限られていた。このたび、厚生労働省通達によって2004年1月以降、特定機能病院には専任者をおかねばならなくなった。お仕着せ型、国主導でないとなかなか動かない日本の病院の現状が露呈した形だ。

 機能するシステムをつくる原則は、そうした方が便利、有利だという作用をもったシステムをつくることだろう。
医療事故をいかに医療の安全に生かすかに関して、次の5点につき考えてみたい。@ 医療事故の届け出制度のありかた、A 院内の死因検討委員会のありかた、B 医療の質の向上の向けた制度改革、C 医療被害防止救済制度、D 死因究明策(監察医制度のありかた)。

@ 医療事故の届け出制度のありかた:日本法医学会の見解「自分の医療事故を自主的にすべて警察に届け出よ、自首せよ」というシステムは機能しないだろう。「医療は聖職であるべし」も通用しないし、憲法38条の「黙秘権」にも抵触する。そのうえ、警察は医療の中味を判断できない(医療ミスを警察に届ける指針をもつ国は日本だけ!)。つまり、医療事故を自主的に届け出ると罪が減免されて、賠償にも有利になるようなシステムづくり(届け出先となるべき第三者機関の設立)が急務だ。
A 院内の死因検討委員会(M&Mカンファレンス)は、ピアレビュー(医療者相互の監視)として機能しなければならない。現在の病院では、残念ながら、学閥、診療科、職種の壁が分厚い。医療の質を評価する委員会の開催を医療機能評価機構による査定の必須事項とするのはいかがだろうか。医療事故を隠す病院の体質は、データを公表すると病院の評判が悪くなる。だから公表しない・させないというベクトルが働いている。医療事故を公表しないと評判が悪くなるようなシステムに変えるべきだろう。ここでは、マスコミの果たす役割が大きい。
B 医療の質の向上の向けた制度改革については、まず、全国一律の悪平等(失敗した方がもうかる。未熟医師は過剰な薬物投与や検査をする)の医療保険制度を改革し、高い質の医療をすればより高い点数がつく、質を高めないと損をするようにすべきだろう。認定医・専門医制度が保険診療と全く連動していない(日本医師会が固執する「自由標榜制」の原則)のも、医療の質の向上に阻害要因となっている。認定医・専門医がおこなった医療は保険点数を高くする。専門でない分野でミスをおかすと不利になるようにすべきである。そもそも、わが国には、お上まかせの伝統があり、すべてを政府(厚生労働省)が決める、決めてくれるのを待っている(優秀な官僚も、2年で交代する。「ミスをしないことが出世の条件」らしい)。この際、政府外の第三者機関に権限や予算を移管(専門の係官が常駐する)することを考えるべき時期がきているのではなかろうか。
C 医療被害防止救済制度については、加藤良夫氏が提唱する新制度(第三者機関の設立)に賛成したい。医療裁判に訴える以外の方法で、患者や遺族が迅速に救済・保障されるようなシステムづくりが急務である。
D 死因究明策(監察医制度のありかた):わが国では、不審死の死因究明のための監察医制度がきわめて不十分な状態にある。監察医制度が機能している東京23区と大阪市以外の地区では、実質的に行政解剖の制度がなく、行政解剖的な病理解剖が行われてきているのが現状である(病理医の本来業務ではないはずなのに――)。そうした解剖すら行われないために死因が不明確で、保障されるべき保障がない遺族が少なからず存在するとみなされる。法医解剖(事件・事故を扱う司法解剖と不審死の死因究明のための行政解剖よりなる)を実施できる医師の絶対的不足問題は如何ともしがたいが、全国規模での監察医制度の確立は、国民の安全にとって、相当程度重要度が高い。

最後に一言
 従来、病理医は「料理医」と間違えられるほど、その存在が知られていない影武者のような医師だった。でも、もうそろそろ、そうした時代はおしまいにしなければならない。内科、外科、産婦人科、皮膚科、耳鼻科といった縦割りの臨床科の枠を越えた、病気に関する広い知識を身につけ、さまざまな病気を知りつくしたプロの病理医をもっと十分に活用してほしい。病理医は、院内で第三者的(客観的)立場のとれる数少ない存在でもある。不幸にして病気でなくなった患者さんを病理解剖し、病気の進展具合、死因、治療効果、合併症をみきわめるのも病理医の大切な業務である。病理解剖は、研修医の教育に重要な役割を果たすし、現代医療の反省の場にもなる。患者さんが医師の教師に変身するときでもある。

 プレパラートの向こうで待っている患者さん、顔を知らないあなたのことを考えながら、今日も病理医は黙々と顕微鏡に向かっています。ぜひ、お見知りおきを。質問やご意見はいつでも私までメールください。

連絡先: 堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D.
藤田保健衛生大学医学部第一病理学
〒470-1192 愛知県豊明市沓掛町田楽ヶ窪1-98

tel: 0562-93-2439、fax: 0562-93-3063
e-mai:tsutsumi@fujita-hu.ac.jp
 
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