患者の目線でみることの大切さを医学生に伝えたい


藤田保健衛生大学医学部第一病理学
堤 寛 Yutaka Tsutsumi, M.D.


 日本の医療には世界の非常識が少なくない。いくつか例をあげよう。

 最も象徴的なのが、文部科学省と厚生労働省による医学部の二重支配だ。文部科学省主導による6年間の医学教育のあと医師国家試験するのは厚生労働省。厚生労働省主導による数年間の卒後臨床教育のあと専門医試験するのは文部科学省配下の各種学会。大学病院には2つの省庁から司令がくる。国立大学付属病院は文部科学省のもの(医師は文部科学省経由の給与をもらう)なので、大病院なのに厚生労働省の支配力が弱い。こんな妙な制度は世界に類をみない。
 
 文部科学省は大学院重点化を打ち出し、すぐれた医学研究の創出に余念がない。旧帝大を中心に、2年間の初期臨床研修を終えたばかりの若き医師たちの大量ぶんどり合戦が展開されている。大学には、1学年あたり毎年100人を越える大学院生を確保するノルマが課されている。これでは「いい医者」が育たない。国民に必要度がより高いのは、患者のために働く"お医者さん"のはずなのに、そうしたトレーニングが一番必要な時期の4年間を研究中心の生活を送る若い医師が少なくない。文部科学省の目標は、あくまでいい教育と世界レベルの研究で、いい医療は眼中にない。

 その上、研修時代の医師には収入保障がないか乏しいのが当たり前だった。弁護士の卵には国が給与を保障しているのに、医師はほったらかし状態。仕方なく、疲れたからだにむち打って、当直のアルバイトをしないと餓死してしまうかも知れない。今年になってようやく、大阪地裁は研修医も労働者であると認めたのが実状だ。そんな異常事態を終わらせようと、今、臨床研修必修化(2年間)の制度改革が進行中だ。はて、悪習を絶つことができるかどうか―。

 医療をよくしようと思ったら、医学部を変えることが重要だ。学閥主義と講座制の弊害が大きい。大学で出世しようとしたら、研究しないとまず受け入れられない。東大、京大などの大学院大学には、医学部を廃止するくらいの構造改革が必要だ。マスコミは、いい医者をつくろうとしている大学(新設医大や私学が多い)に対して、二流、三流の烙印を簡単に押さないでほしい。

 医療事故があったら警察に届け出ろ(自首せよ)という、日本国憲法38条(黙秘権)違反まがいのガイドラインをもつ国はほかになかなかない。届け出られた警察も迷惑だろう。医療の中味を正しく判断しろという方が無理というもの。医療にリスクはつきものなので、一定の確率で望ましくない結果が生じる。どこまでが不可抗力なのかを判断する中立的な第三者機関があってしかるべきなのに、わが国には存在しない。届けでないと損をする形の制度づくりが必須だ。

 失敗の経験を共有し、失敗から学ぶ院内制度が日本の病院には未熟だ。失敗を隠蔽する悪習が横行し、内部の人間が問題提起すると「内部告発」と非難される。そうして、同じ失敗がくり返される。講座や職種の壁を越えてリスクを共有し、再発防止に役立てる(医療の質を高める)院内制度を実施している病院はまだまだわが国には少ない。こうした姿勢を高く評価し、そうしないと損だと病院に思わせる政策誘導が求められる。米国ではこの制度をもっていない病院は保険診療ができないときく。

 わが国で監察医制度が整っているのは東京と大阪だけ。不審死の原因を追及する行政解剖は、ほんの少数が大学の法医学教室で行われているにすぎず、あとの多くは解剖されないか、病理解剖が行われている。病理解剖は病死の成因・治療効果などを判断するための解剖であり、医療事故を含む不審死を判断するための制度ではない。そもそも、私たち病理医はそのようなトレーニングを受けていない。多くの不審死がうやむやになっている可能性がある。

 抗生物質の効かないメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による院内感染症がわが国の病院ではあとを絶たない。もともと抗生物質の乱用のせいで発生したこの菌は、医療者の手指を介して患者に広がってゆく。MRSAは健常者には病原性が低いが、高齢者や手術後患者といった弱者には致死的な感染を生じうる。医療者の鼻にMRSAが潜伏していることも少なくない。

 手洗いの励行、手指の消毒、それに診察中に自分の顔を触らない習慣づけが院内感染防止上たいせつなのだ。驚くべき数字を紹介しよう。MRSA率だ。これは、細菌検査で分離される黄色ブドウ球菌のうちに占めるMRSAの割合をさす。北欧諸国・オランダでは1%以下、ドイツでは5%、英国・ベルギーでは20%、フランス・南欧・米国では30%、アジア諸国では60%、そしてわが国は70-80%。この落差はあまりにも大きい。この違いは、決して気候のせいでも空調のせいでもない!

 

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